フーコー 講義集成12


p50まで


カントを講義する晩年のフーコーが、獄中でカントを読む晩年の牧口先生に重なった。


啓蒙とは、
理性(つまり追従でも思考停止でもない)を公的に使用する先にある。まだ啓蒙の時代。


フーコーはカントがある問題を導入したことを示したかったに過ぎないという。評価はしない。


こころに残っているフレーズ
カントによると
フランス革命のころ、
「解放の過程を告げ知らせるいくつかの徴」が存在したこと。
でもそれだけじゃないと思う。
僕たちの頭の中で起き続けていることを誰も止めることはできない。
目に見えないところで起きている変化・変容。
僕が死んでも後世の人たちが自分自身と社会の変革を進めてくれる。
まだ啓蒙の時代。


いくら時間がかかっても、
どんなに酷いことが起きても、約束が守られることは決まっている。世界の約束。



あと思った公務員というのは国のためにとか、ある特定の集団・組織のためにとか、
理性を私的に使用するところだけど、
学校の先生って、そんな単純じゃないと思った。仕事の中に理性の公的な使用を含めることができる。それは他の仕事も同じかもしれない。