Tさん 大切なこと

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大切なこと。
どうしても、私たちは、テレビやネットにあふれる「ざっくりした」情報とやらに囲まれて生きています。
だから、どうしても、感覚や良心が鈍感になっていく。
24時間テレビみて、障がい者のかたが必死に生きている姿を10分みて、感動して終わり。
その人たちが、24時間、365日かける何十年生きている毎日に触れる「持続」を「感動」は奪い去っていきます。
「持続」は、「幻滅」「あきらめ」、そして、それでも、これならば、続けていけるかなという「いのちのかすかなともしび」として現われるのです。
目に見えることに、その場で反応し、感動したり、悲しくなったりすることは、まあ、それはそれで大事でしょう。
しかし、ほんとうの真実というのは、「大声で叫びません」「3Dで派手に登場しません」
草のなかに、三輪車がありました。
あの三輪車は、そこにあった家のお子さんの三輪車です。
ずっと離れたところに流された三輪車を、ガレキのなかから、ご家族が見つけ、別の家とかのガレキで一杯になっていたところから、自分の家があったところの、基礎のコンクリートを見つけ、三輪車を、もとあったところに、おいたのです。
ほんとうの、悲劇は、とても、声が小さいです。
それを聴き取る耳を持つことが大事です。
もちろん、そこで何があったのかの、細かい話などは、知ることはなかなか難しいです。
しかし、小さな声を聴き取る耳は、少し静かに考えてみることで、感覚が磨かれていきます。
あれっ、しげみの中に三輪車が。
乗っていた子どもはどうしただろう。
被災地には、そういう「事実が刻みつけた傷、痕跡」が、たくさんあります。
テレビとか、YouTubeで見た映像という、「自分」をそこで出して、「ああ、知ってる。テレビでみた」とかいう反応は、消したほうがいいと思います。
なぜならば、その反応は、目の前で、いろんな事実が押し寄せてきているのに、それを見るチャンネルを切断してしまい、新しい、また、リアルな事実を、自分のなかに、蓄積することを阻むからです。
いつまで経っても、自分は今までの自分のままです。
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