トップレベルの生徒にとって塾の勉強は易しすぎる(続き)。
 たぶん、受験勉強自体はあるところまでは学力を上げる。学校で学ぶことの深い理解を促進するからだ。だが、あるところで、視野を狭め、受験テクニックの習得の袋小路に入り込む。
 そこには、勉強と学力の関係が収穫逓減の法則に従うように見える。あるところまでは勉強が学力を上げていく。あるところからは、受験の些末な暗記に走り出す。その理由は簡単だ。勉強とは常に深くなっていけば、先へと進んでいくものだが、試験範囲ということでそれが制限されている。そうである限り、末梢的なパズル解きにならざるを得ない。そして、試験する側もそれに応じるから、出来る生徒から選抜するために、決まった範囲の問題を素早く解く方向へとひねりを加えていく。時間があれば出来る生徒なら解ける問題を見かけをややこしくして、何度も同種の問題の練習をやっている生徒だけに解けるように変えて、優れた生徒を選抜した気分に浸る。
 それが中学受験・高校受験、また大学受験と繰り返されると、与えられた範囲の勉強をこなしてすり抜けることに熟達した大学生を作り出す。そんなものは、仕事にも研究にも、少なくともその創造的な部分には邪魔になるだけだ。
 さて、そうなっているかどうかの簡単な指標がある。
・寝不足になるまで受験勉強をしているか。止めた方がよい。バカになる。
・小説やあるいは勉強に近いことでも試験や学校で学ぶことを超えて、あるいは離れて読んだり、学んだりしているか(大学レベルの勉強、せめて岩波や中公新書レベルを読む)。
・教養(どう定義してもよい、古典でも世界情勢でも)に関わるところに興味を持って知識を得ているか。
・しかし同時に、長く勉強を続けているか。勉強しないで、高度な学問に進めることはない。

無藤隆


確かに。
しかし僕の場合、受験レベルの基礎が確かではなかったので、大変な思いをしている。基礎的な勉強ってすごく大事。