Tさん

障がい者は神の使い】
聖書のヨハネ福音書の第9章に、こんなところがあります。
障がいを持っている人がいました。
ユダヤ教の律法学者が、イエスに訊ねます。
「この人は、この人自身が過去に罪を犯したのか、それとも、両親が犯したのか?」
エスは、「そうではない。本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る」
これは、どういう意味かというと、ユダヤ教の頑迷な律法学者は、宿業論を説くわけですが、
エスは、障がいある人は、神からの使者であり、人がどのように生きるか、という一つの規範、モデルとして、障がい者があり、
その生き方が十全に発揮されることが神の意志であり、また、我々も、それを支えねばならないというわけです。

同じ人だけど、いろいろな考え、考え方がある。
エスのように考える人もいれば、自民党のネットサポーターの方のように考える人もいる。