この絵葉書をよく見てごらん、これは複製だ…私たちのあいだでは、すべてはひとつの複製から始まったのではないだろうか?そうだ、だが同時に、単に偽であるものは、もはや何ひとつない、悲劇はそこにある。(『絵葉書Ⅰ』)

私はあらかじめ、悪い読者の忍耐力のなさに先手を打っておく。…悪いとは、自分の読み方の行き先をあらかじめ決めてしまうことだ、悪いということの他の定義を私は知らない、予言することは常に悪い、後ろへと引き下がりたくないと思うのは、読者よ、悪いことだ。(『絵葉書Ⅰ』)

だいたい精密に書くなどということは、数学と論理学にしかできないことである。日常言語で精密さを目指す作業には、何か幻想的な自己満足がある。幻想である。そのトラップにかからないこと。(千葉雅也)

細かく精密に書くことが正義なのではない。このことをもっともっとリアルに身体化する必要がある。大学院生的な書き方をunlearnする。もっと大ぶりの日本語でいい。でいい、ではなく、がいい。大ぶりに書くことは妥協なのではない。精密化とは異なる固有の発明のレベルである。(千葉雅也)