- 作者: 長谷川宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/05/20
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西欧の哲学者は
現実と真摯に向き合って思索している。
机上の空論のような人では決してないということを、これを読んでも強く思った。
- 作者: カント
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/12/20
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001 経験なしでは何も始まらない
わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。認識能力が対象によって呼び覚まされて活動し始めるのでなければ、そもそも何によって動き始めるというのだろうか。対象はわたしたちの感覚を触発するが(対象が感覚に働きかける道は二つあり)、対象みずから感覚のうちに像を作り出すが、人間の知性(=悟性)のもつ能力に働きかけるのである。働きかけられた知性は、対象の像を比較し、これらを結びつけたり分離したりすることによって、感覚的な印象という生の素材から、対象の認識そのものを作りあげるのであり、この活動が経験と呼ばれる。だからわたしたちのうちの認識において、時間的にみて、経験に先立つものは何もない。すべてが経験とともに始まるのである。
これは『純粋理性批判』の冒頭。
認識とは直観+悟性。
社会構成主義の考え方の種がもうここにある。
社会構成主義みたいな考え方は別に新しくない。
もうカントに影響を受けた人たちが、随分と昔から、たくさん考えてきたこと。
それにカントは観念論者の親玉のように言われていたけれど、
そんな俗論や学者の言っていたことが誤っていることはこの冒頭を読めば明らか。
カントの『純粋理性批判』って、信仰とも重なって、ドキドキしながら10年前くらいに読んだ。この世界が無限か有限かって、論理的に答えは決して出ないんだってさ。科学でも永遠に分からないことが分かった。
牧口常三郎の『経験から出発せよ』の源泉はここにある。
体験学習法とも親和性がある思想。
「直観なき概念は不毛であり、概念なき直観は盲目である」イマヌエル・カント