一瞬の夢のような人生のことを考えると、何が大切か分かってくるかもしれない。
「とても此の身は徒(いたずら)に山野の土と成るべし・惜(おし)みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過(すぎ)ず・其の間の事は但一睡(いっすい)の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一(ひとつ)もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人(ぬすびと)なり、恥づべし恐るべし、迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき・本門には「自ら身命を惜まず」ととき・涅槃経には「身は軽く法は重し身を死(ころ)して法を弘む」と見えたり、本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁(いましめ)を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事・譬えば寒熱の姿形(すがたかたち)もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩(ねつのう)せしむるが如くなるべし。」(松野殿御返事)