働かなきゃ。
- 作者: 亀山郁夫
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/12/20
- メディア: Kindle版
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ラカン関連本に比べると、とても楽に読めた。
やっと届いて、一気に読みました。楽しかったです。ドストエフスキーの主な作品をほとんど翻訳した著者が、未完の「カラマーゾフの兄弟」の続きを考えていて、それを知れてよかったです。この作品が連載されていた時も、アリョーシャは人気のある登場人物だったみたいです。10代の時には、すごい異質な他者に出会ったと思いましたし、憧れるというか、特別な思いが、アリョーシャという登場人物にあって、今もその思いとか、感動を引きずっています。
- 作者: ブルースフィンク,Bruce Fink,中西之信,椿田貴史,舟木徹男,信友建志
- 出版社/メーカー: 誠信書房
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
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これは教育の分野でも参考になる話だと思う。
子どもたちは学びたい!とは思っていないかもしれない。
子どもたちに意欲がなければ、教師はどうしようもないと考えるかもしれない。
学習の責任は子どもたちにある。私(教師)には責任はない。私(教師)は、やるべきことをやっていると。子どもたちがやらないからだ、意欲しないからだ、できないのは。このように考え、諦めるかもしれない。
ある子どもたちは、勉強は嫌いだという。しかしそう言明していても、本当は勉強がしたいのかもしれない。
患者や子どもたちが言ったを、ワンクッション入れないで、そのまま受けとってしまうのは危険。
患者がもう治療に行かないという。言葉の通りなのかもしれないが、本当は行きたいのかもしれない、治療を続けたいのかもしれない。その時に精神科医がとるべき態度は、精神科医の欲望を明確に伝えることだ。一週間に一度、来て欲しいとか、また会って話を聞きたいとか、患者に欲していること、期待していることを伝え続けることだ。患者のもう行かないというのを、そのまま額面通りに受け止め、諦めたならば、それをメッセージとして患者は受け止める。治療は進まないばかり、症状は悪化するかもしれない。治療は患者の欲望ではなく、精神科医の欲望によって、進むのだ。
子どもたちについても、教育についても同じことが言えるかもしれない。
何かで家庭訪問した際に「もう来ないでくれ!」、
こんなことを保護者に言われるかもしれない。でもそれをそのまま受け取るのではなくて、ワンクッション置いて、解釈する必要がある。
ある子どもたちは、「○○が嫌い!」というかもしれない。でも本当は好きなのかもしれない。○○は、欠如を感じる存在で、本当は強く求めているのかもしれない。
一歩、自分や世界について、深く考えられるようになること。
一歩、自分自身について深く考えられるようになることを促すような、ラカン派の精神分析みたいな、教育を考えられるかもしれない。子どもたちが、少しでも深く、自分や学習や世界について理解できるようになるために。
ラカン派は患者とは言わない。分析主体と呼ぶ。