価値論が宗教批判になっている。
この関門を通過できないものは信じられないし、頼ることはできない。

カントの宗教批判も学び直したい。



一時期、学会は価値論は引っ込めた(記憶によると)。それは間違いだと思う。
価値論は常に必要だ。それなしに信仰はありえない。


いや、価値と信仰は別問題なのかもしれない。


別問題か。
だから引っ込める必要ない。


信仰は真理に関わるものだ。価値の問題なんだろうか。違うと思う。



信仰は真理の問題か。
信仰は、科学が及ばないところの真理の問題か。


でも信仰って、現実の人の苦しみを離れてないけれど。


境界か。


境界にあるけれど
この世界や生命がどうあるのかという真理の問題と、それが人生の価値にどう関わるのかは別問題か。



だけど、この世界や生命がどうあるかというのは、科学的アプローチの限界を超えている。

だから、
その世界観を信じることにどのような価値があるのか、実証的に考察すればいいのだけど。



僕の実感としては、気づいたら、この世界にいた。
死んでも、また気づいたらこの世界にいるだろうというのは、一つの世界観だと思う。