Tさん

今さらながらだけど、「ナラティブ・ベースト・アプローチ」というものを考えている。
「支援ー被支援」という関係を揺るがすこと。
disponibilitéということにもつながるし。
三年ぐらい前、医療領域での、「エビデンス・ベースト」と「ナラティブ・ベースト」の対比を考えていたけど、
これって、すべての支援に関わるもの。
自分自身の「めんどくさがり」が、「受容」というものにつながり、僕の存在をいろんな人が生かしてくれているかもしれない。
しゃべんの面倒くさいから、聴くしかないし、
積極的に子どもたちと遊ぶの面倒くさいから、
そこに、ニコニコと木偶の如く立ってるしかない。

もう少し詳しく知りたいです。

キャシーハーシュ=パセック

子どもの「遊び」は魔法の授業

子どもの「遊び」は魔法の授業

ここであげられている四つの原理のうち三つは、
百年以上前の教育理論と結論がたいして変わらない。
ただ教育哲学などと、現代の心理学では、結論に至るプロセスが違う。
違った手続き(プロセス)からもほとんど同じ結論が出たというのが大事だと思う。



フラッシュカードなどみたいに、直観に欠けるゴミくずのような知識を詰め込むことをしないようにというのがカントやペスタロッチの理論から導き出せること。



似非科学がなんで現れるのか一つの経路が分かりました。
科学者がデータから控え目に結論していることをマスコミなどが金儲けのために拡大解釈して広めるからです。

いい本があれば「こういう本もあるよ」と教えてあげればいいじゃん。ただそれだけのこと。読むか読まないかは本人の自由だ。ちょっと読んでみるのも、途中でやめるのも、本人の自由。


子どもたち同士で本と人を繋げることもあれば、教師がそのきっかけになることもあるだけ。
大事なのは、その背後のあるスタンスだと思う。

教育関連の本ではないけど、すごくよかった。これが今日の救い。