宇治少年院

宇治少年院に関するレポート『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香著を読んだ。

少年院では、基本的に昔から、
私語を制限するプログラムを導入しているようだ。
宇治少年院は、それを徹底した。

私語の制限は、
いじめを防いだり、
院内での付き合いが、
出院した後の人間関係につながったりしないようにすることが目的だ。

このしゃべらないことが、
多くの少年に教育的にも好影響を与えた。

沈黙を守ることは、非言語コミュニケーションの力を鍛えることにつながる。
しゃべることが禁止だと、しゃべらない方法で会話をするようになる。
つまりジェスチャーだ。たとえば、少年たちは、離れたところにあるお茶を取ってほしければ、やかんを指差し、手のひらを胸の位置で体と垂直に置き、”すみません”と頭を下げる。取ってもらえたら、また同じジェスチャーで”ありがとう”と感謝を示す。

最初はわからなくても、たんだんボディサインで人の気持ちがわかるようになるらしい。同じサインでもサインを出す人の気持ちは違う。人の気持ちを、ちょっとした表情や全体の雰囲気からわかるようになっていくようだ。

人の気持ちなどわからないし、
相手の気持ちを考えたことがなかったという少年が、
日常会話を制限された環境の中で、
はじめて「相手の気持ちを考える」ことを学んでいく。

「沈黙の時間」は、自己コントロールする力も向上させる。
日常的に私語を禁止するという環境は、
少年たちに絶えず自己コントロールすることを要求するからだ。

また作業記憶(思考や判断などの際に必要な情報を一時的に保持・処理する記憶機能)を向上させることもわかっているとのことだ。

学校や少年院の教育と関係がほとんどないし、
本の内容とずれてくるのですが、
私自身のことで、考えると、
体や声が、しゃべっている内容と違うことがある。

表情や姿勢など身体的なこと、また声は、言葉よりも、人の気持ちを直接に表すのだろう。
沈黙の中で、
少年たちは、言語以前にある心を、鋭敏に体や全体の雰囲気から感じたのかもしれない。
私自身、体や声に注目して、自分を見つめなおしたいと思った。