自我の拡大について

自我の拡大、自分自身の拡大は一応なんとなく理解しているつもりですが、伝えるのが難しいです。わかってないのかも…。個別の知識やその繋がりを知ることで、相互依存性とかさまざまな関係性を知ったりして経験や研鑽を重ねていくと、自我にいろいろなことが入ってこれるようになる。知ることで世界が広がるというか。たぶんそれが自我の拡大。たとえばこんな例を読みました。花を見る。まず花の存在に気がつかない人もいる。花を見た瞬間に花を植えた人のことが心に浮かぶ。さらにその家族のことが浮かび、その人の健康と幸福と長寿を祈る、そして祈るだけではなくて、具体的にいろいろ激励をする。私たちは、花なら花という自分の外にあるものと、目や鼻などの感覚器官を通して関係するが、まず花の存在に気づかない、すなわち自我に入り込まない人、次に、きれいだなぐらいに入る人、そして花だけでなくその花の背後に植えてくれた人、またその家族のことまで入る人がいるということです。自我の広がりという言い方では、もちろん3番目の人が一番大きいということになります。他には、コーヒーという商品について勉強する。コーヒーという商品から海の向こうの農家の人の生活を考えるようになる。それでフェアトレードコーヒーを買うようになるとか。創造的人間は必然的に自我が拡大していると思います。

ゲーテの詩も自我の拡大を理解することに役に立つと思います。私たちはゲーテが「あらゆるものが一個の全体を織りなしている。一つ一つがたがいに生きてはたらいている」という「あらゆるもの」の一つひとつであり比喩で表すと宇宙の欠片であり、そのまま全体、すわなち宇宙そのものでもある。パスカルの人間は考える葦であるの話のように宇宙に比べると一見人間一人は弱くて小さいけれど、自分の一念または思考が宇宙(全体)を包み返していける。極端な話ですが、思考して想像して自我に宇宙全部が入っちゃうということです。


私はあまり苦労していませんが、苦労すると、人の気持ちとか、何かの結果の背景にある陰の働きとか、そういうことを察知できるようになると思います。これも自我の拡大といえるのではないかと思います。