思考 発散 精神の自由度 ヴィジョン 

「精神の自由度」とは何か考える。心の働きがどれだけ自由であるかということであり、それは心の強さのことだと思いました。具体的にはどういうことか考えたいと思います。抽象レベルが高くても大雑把にそこへ向かって行けますが、できるだけ具体的なレベルまで考えないと教育の実践ではあまり役に立たないと思いました。実際に指導しなくても(人にも合わせないといけないので様々な指導ができる必要があるかも、人によって善悪が逆転することもあるから難しいと思う)、できるだけ細かく何が善くて、何が悪いのか、具体性のあるヴィジョンを描くことが大事だと思いました。例えば、最近の仕事でも、先生が「いい返事」だねと言われた。いい返事とはなにか。それを知らないと指導ができません。話し合いについては何がいい話し合いなのかまだよくわかってないところがあります。だからフィードバックが拙いものになります。何がいいのかわかっていれば、教育方法として原始的ですが、「いい」「悪い」と繰り返し評価するだけで、ある程度教育になると思います。それほど単純ではないですが、できるだけ細かくヴィジョン考えて、そこの柱と言えるものを人に語れることを目指そうと思います。小学校で指導することで、大人になるとやらないこともあると思う。ほんとうは軍隊みたいなことをやらなくても、セルフコントロールの力をつけられたらいいなと思います。でもその軍隊みたいな教育も意味がないとは思いません。軍隊みたいな動きは、筋力が必要だったり自分の心をコントロールできないと、成功しないと思います。少年院の教育を読むと筋力や心が弱くてまっすぐにしばらくのあいだ立つことさえできない子もいるらしい。自分のコントロールする力がないと、いい方向にではなく、わるい方向に引きずられてしまうと思う。でも、自制心の力は他のことで養えるとも思います。方法の問題か…。


経験の質の問題だと思いました。楽しくて、ためになる経験で養える力はその経験を提供すればいい。でも自制心を養える経験は楽しいばかりではないと思う。でも楽器を演奏するとか、スポーツをするとか、一人で筋トレをするとか、何か問題解決するとか、どういう経験がいいのか考えて(できるだけ楽しくて、文化的なほうがいいと思う。スポーツにしたって、科学的なほうがいい)いい選択はできるようになると思う。あとルソーのいうように必然(自然)によって教育するということですね。軍隊的である必要はないと思います。