相対主義

大学時代に
相対主義などの洗礼を受けて悩みました。
「学問の目的は真理の探求だといわれますが、
絶対的な真理なんてありますか?」(いや、ない。)
と言った考えが僕には流行っているように感じました。
わかったような顔をして、わかっていない学者。
結論は、相対性は真理の部分であると思う。
相対性が真理の全体だと思うならば、
それは誤りだと思う。
相対性と絶対性を総合したものが世界の実相だと思う。
たしかキルゲゴールが同じようなことを書いていました。
さすが真正のキリスト者だと思って、尊敬してます。


大学時代にフロイトの論文を読んだ時には、
自分の中にある師と超自我の違いについて悩みました。
良心と超自我の違いも考えました。
良心って社会的に作られるものだろうか。
もともとあるのだろうかとか。
まず当たり前だと思っていることが、
そうとう社会的に作られていることだということが、
フロイトとか、たしか社会学を学んで思いました。
自分自身ってなんだろう。自分の信じていることは正しいのか。
そういったことを思い悩みました。
悩みといっても、
世界が灰色になったり、
いろいろ苦しい思いもしましたが充実した時代でした。