ペア読書

友だちとほぼ週一のペア読書がかなり(2ヶ月間くらい)続いています。2人で2200項くらい音読しました。また、本の内容だったり、それと関係する文学や宗教、時事問題、人生などについて、おしゃべりしてきました。
法華経」に関する本が9冊終わって、
次は日蓮の人と思想を扱った本を読んでいく予定です。

この前の回でやはり思うのが、
とにかく自分を創っていこうということです。
ヒマラヤの山のような自分を創っていくこと。色々とごちゃごちゃありますが、とにかく自分を創っていく先にしか、いい仕事はできないと思います。それに自分を成長させていくことが、平和建設の実際だと思います。ある人は、こんなことを日々決意しているそうです。「他人の失敗を指摘する間もない程、自己の向上に専念すること。」自分自身が成長した分だけ、人によく関われるかもしれないです。自分はどちらかというと実践よりも観念が先行するので、あまり成長していないです。これからがんばろうと思います。精神を集中する。


たしか二十四字の法華経と言われる不軽菩薩の話。不軽菩薩はまさに愛そのものだと思いました。エリザベスキューブラーロスいわく、愛は無差別らしい。自分に対する信頼、人に対する信頼。傲慢になりそうになったら、不軽菩薩のヴィジョンを思い出そうと思います。


法華経の結論は「自分は永遠の昔から仏であり、永遠の未来まで仏である」ということです。自分は永遠の昔から仏であり、永遠の未来まで仏である。そしてあなたも永遠の昔から仏であり、永遠の未来まで仏である。すべてが仏である。すべての現象が全一なるもの、すなわち仏の現れであるという世界観です。生命の永遠性を説いた教典であり、それをなんとかわからせようと物語や比喩が駆使されています。また誰もが仏性を持っている。つまり、誰もがその生命の永遠性を感得できる資質を持っていると説かれます。誰でも成仏できる可能性を持っているということです。この誰でもというのが、それまでの経典と比べて画期的なところです。それまでは女性差別があり女性は成仏できないとか、二乗といわれる人たちは成仏できないという考えがありました。法華経は十界論と言われる理論があり境涯論でもあります。例えば法華経以前は、地獄といえば、どこか遠くの世界のことかと思われてきた傾向があったらしいですが、法華経は自分自身について説かれた教典で、地獄というのはどこか遠くにあるのではなく、地獄界といって、自分の心にあるのだと説きます。このように生命の状態を十に分類したものが、十界論と言われる理論です。ちなみに仏の境涯を仏界といいます。死の問題を考えていて、何か問題解決の拠り所となるものがほしい人は、「信解(しんげ)」といって、信じてはじめてわかるという信仰の次元の話ですが「法華経」を学ばれてはどうでしょうかと思います。僕はこれが一番納得できます。もともとの原典の翻訳は岩波文庫にあるものがいいかもしれません。記憶によると岩波文庫法華経学術書の引用に基本的に使われているようでした。ただ解説は「法華経智慧」をおすすめします。新書で学者が書いている岩波新書中公新書法華経の入門書がありますが、「法華経」をもし学ばれるなら、「法華経智慧」を外さないほうがいいと思います。法華経にも、二十四字の法華経とか、日蓮法華経とか色々あるからです。解釈も色々あります。それに僕が読んだ中では一番伝わるように書いてあると思います。