読書 牧口常三郎の思想

牧口常三郎の思想

牧口常三郎の思想

「本物の知者=知識人だったらならば、戦前戦中(いや、現在とても然りですが)日本の学問水準が到底『知育偏重』の水位まで上昇しておらず、あべこべに『知育偏軽』『知識貧弱』(従って『道徳偏軽』『道徳貧弱』)の海底面に釘付けされたままでいることを、看過誤認することは無かったのです。本物のなかの、すぐれて本物の知識人だった牧口の眼には、日本の教育現実はどんなに暗澹たる光景(げんに彼は日本を『教育中毒』と呼んでいる)として映ったか。七十年後の今日とて同じです。
 小学生が、自分の気に食わぬ子をいじめて平気でいる。中学生が、公園のベンチに寝ている老人を殴り殺す。高校生が、酒や麻薬や性暴力その他の犯罪をおかす。――これらは知育偏重・徳育偏軽が原因で生起することなのですか。すべては知的に貧弱劣悪だから起こると理路整然と分析し論証してくれる牧口『二育説』および『日本人知識貧弱説』に、賛成せざるを得ないではありませんか。俗説世論に逆らってでも、いま、『知育偏軽』の教育現実に立ち向かおうではありませんか。
 一見迂り道のようにみえても、知識=知性を最大限に働かせて人類普遍の真理を獲得することこそ却って幸福実現への捷道となる、との見通しに立つ牧口教育理論は、今なお正しく新しいのです。」70項


斎藤先生の心の叫びだと思いました。牧口先生によると徳育は知育の部分だということです。徳育のない知育はあっても、知育のない徳育はないと主張されていたと思います。だから「知育偏軽」「知識貧弱」従って「道徳偏軽」「道徳貧弱」と書かれているのだと思います。


牧口先生の知育重視の考えは正しいと思いました。「小学生が、自分の気に食わぬ子をいじめて平気でいる。中学生が、公園のベンチに寝ている老人を殴り殺す。高校生が、酒や麻薬や性暴力その他の犯罪をおかす。」、牧口先生のときと変わらなくて、これらは知識偏重と徳育偏軽が原因ではないと思います。知育のレベルが低すぎるのだと僕は思います。根性とか頑張るとかそういうんじゃなくて、もっといい知育が求められているんだと思います。斎藤先生や牧口先生が言われるように、頑張るんじゃなくて、頭を使う教育。経験から出発して、価値を目標として、経済を原理とする教育が求められていると思います。


たぶんすべての人が勉強する、学ぶというベクトル自体に、またその方向に幸福は現実化するのだと思います。


自分自身の経験からも知育重視の考えは正しいと思う。高校生くらいのときは知性が育ってなさすぎて、運が悪かったら(ちょっとしたきっかけで)死んでいたか刑務所に入っていたと思う。逆にいうと今こうやって生きているのは、たまたま運がよかっただけだと思います。


牧口常三郎の思想」を読んで、創価教育学説のスローガンにかえって、気持ちが楽になりました。価値を目標としてもっと頭を使うようにして楽しさと効率性をガンガン追求していいのかなと思いました。


創価教育学と創価教育は違うという話もおもしろかったです。創価教育学は理論で、創価教育は実際の教育です。創価教育学は牧口常三郎の理論として現にありますが、創価教育は新たに創造されるものです。