自分の基本に帰ろう。
日蓮の遺文より
「月月・日日につより給え・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」
「一丈ほりを・こへぬもの 十丈・二十丈のほりを・こうべきか」
「陰徳あれば陽報あり」
「法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信じる人の凡夫となる事を」
「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは よみがへる義なり」
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
「浄土と云い穢土と云うも土に二の隔てなし 只我等が心の善悪によると見えたり」
「大地はささばはづるるとも 虚空をつなぐ者はありとも・潮の満ち干ぬ事はありとも 日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」
「夫れ仏法と申すは勝負を先とし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり」
「軍には大将軍を魂とす 大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」
「我が門家は夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて之を案ぜよ 一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」
「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」
「人にものををしふると申すは 車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり」
「王地に生まれたれば 身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」
「一念に億劫の辛労を尽せば 本来無作の三身念念に起るなり 所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」
「鉄は炎打てば剣となる」
「例せば餓鬼は恒河を火と見る 人は水と見る 天人は甘露と見る 水は一なれども果報に随って別別なり」
「相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり」
「賢人は八風と申して 八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり」
「 一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。 教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ。」
「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬えば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(食物三徳御書 P1598)
「友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず」
「わざわいは口より出でて身をやぶる さいわいは心よりいでて我をかざる」
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」
昔、勇気が湧くいろいろな偉人の言葉を集めていたのですが、どこかにいっていしまった。