考え 考え方

「考え」と「考え方」は違う。


「考え」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/47593/m0u/%E8%80%83%E3%81%88/


「考え方」は「考える方法」。または「考える方向」。「考え方」は「考え」の一部。
http://dictionary.goo.ne.jp/srch/all/%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9/m0u/





「方法」よりも「考え方」とか、「考え方」と「方法」を対立的に考える文章をインターネットで多く読んでいるような気がします。それでなんだかもやもやするところがあります。

辞書的な意味だと「方法」の一部が「考え方」だと思われます。でも文脈で解釈を考えると、「考え方」という言葉を「考え方」というよりは「考え」「あり方」「思想」という意味に近い意味で、いろいろな人が使っているのかもしれないと思いました。ほとんど意味がないのかもしれないけれど、こういうことを細かく気になってしまいます。


「考え方」の辞書の意味の二つ目「考える方向。思考の傾向」という意味で使われているのかもしれない。


「考え方」というより「考え」という意味で「考え方」という言葉が使われているような気がします。それか「考える方向、思考の傾向」という意味か。「考える方向」と言っても具体的には言葉の流れだから考えか。なんでこんなことを考えるいるのだろう。


「考え方」がテクニックになってしまうという話もわかるようで、もやもやするところがあります。「考え方」はどこまでも考え方だし、「考え」はどこまでも考えでそれがテクニックでもあることはあるし、そうでないこともある。なんでこんなこと考えてるのだろう。だいたい言いたいことは伝わってると思うし、こんなこと考えてもしょうがないか。


とにかくゴールへ向かうには様々な「考え」も「考え方」も「方法」も「テクニック」もすべてが欠かせないと思います。


でも考えてみて、『学び合い』は考え方だと言われるときの考え方は「考える方向、思考の傾向」という意味で恐らく使われてるのではないかと思いました。『学び合い』と『PA』の中身は思想もあるし、具体的な方法も含まれているものだと自分は思っています。だからなんで『PA』とか『学び合い』などを「考え方」だって強調するのかなと疑問に思う時があります。魂(思想)の抜けた単なるテクニックではないということを伝えたいからかなとも思います。それに根本的には考えからその具体的な方法、例えばPAのアクティビティやPAの様々な考え方が生まれているので、その核に当たるものを抜いてアクティビティをやってもとんちんかんなことになってしまうし、クニさんが言われるようにPAの考えは日常や学校の様々な活動に適用できるということを伝えたいからかもしれないです。



思想
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/97175/m0u/%E6%80%9D%E6%83%B3/


PAの考えが分からないでPAのアクティビティをやっても、考えを理解してやる場合と結果が変わってくるだろうと思います。ちょっとPAを知っただけという人は、PAはアクティビティだけと思っている人がいるのかもしれないです。