中学校の授業

最近見た中学校の数学の一斉授業は自分が受けた授業とほとんど変わらなかった。自分が中学生や高校生だった時のことがフラッシュバックした。あのミスマッチの授業の毎日。貧しい経験。地獄。心のない学習。寝ているか、違う世界に飛んでいる。ああいう感じが毎日だなんて時間がもったいないと思う。自分に合った学習をすればもっと可能性を開けるのに、貴重な若い時間を無駄にして浪費している。経験には二つの側面があるとジョン・デューイが言っていました。楽しくないし、ためにならないんじゃどうしようもないです。根本的に教育の戦略を変えたほうがいいと思う。そうしないと中学生や高校生の子どもたちがかわいそうだと思うし、未来が暗すぎると私は思いました。小学校<中学校<高校、どんどんミスマッチが激しくなる。


一斉授業がうまくいく関係はあると思う。それは事実です。
みんなを満足させて引き上げるような授業や関係の時もあると思います。
一斉授業がまったく駄目だとは、まったく思わないです。一斉授業はうまく効果がある関係を創れる時や相手の時にやればいいだけです。
でも自分がいやな思いをしたから、上記のことがよく見えてしまう。
できる子は放っておけばいいし、、できない子はある程度見捨ててもしょうがない、授業がミスマッチな子いてもしょうがない、こういう考えを多くの一斉授業(全部じゃないです)や一斉授業を人に押し付けてくる人に感じます。押し付けてくる人には特にその人の心の根底にあきらめを感じます。自分が小学校で一斉授業をしているときのミスマッチも凄くよくわかる(みんな分かるのかもしれないけど)。


はっきり言って静かに授業を受けているなんて見た目で勉強しているなんて判断まったくできないです。


インターネットで教育思想家のガニェと誰かをテストとポートフォリオ評価で分類していたけれど、彼らはそんな単純ではないです。ガニェはパフォーマンス評価についても語っているし、ポートフォリオ評価に繋がることも語っています。テストさせなきゃ、パフォーマンスさせなきゃ、どれだけ学習が身についたかは分からないです。


低い理解を中心に求める学校教育を改善したほうがいいです。
大学教育が学校教育の現場の仕事にほとんど役に立たない。ほとんどの教員採用試験のお勉強は役に立たないです(でも憲法や法律の知識が役に立つと思います)。ルソーの『エミール』を読んで考えたこと、ルソーに時に帰ることは、ものすごく現場の仕事で役に立っています。でもルソーが『エミール』を書いたなんて知識はまったく役に立たないです。求められているのはそうしう暗記力かもしれませんが、教員採用試験のゴールが現場で役に立つものでないと、そのために学習する時間が無駄だと思ってしまいます。それでも教員採用試験だと割り切って勉強するしかないです。


教師にはビジョンがある。現場は戦場だと思う(仕事は価値創造の戦いだと自分は思います)。幸福な生活ができる自立した人(また価値創造の人、平和な社会の建設に関わっていける人)を創るのに、質の低い経験(不快でためにならない経験)ばかりしている残念なことを中学生、高校生、大学生の時にしている時間はないです。


ああいう感じの中学校ばかりかもしれないと考えると、ちょっと酷いなあと思うしぞっとするし、残念に思うし価値的じゃないと思います。変えていかないといけないと私は思います。こんな国いやだし、こんな教育は嫌だと思う。高校の先生(一部の人)とか思い出すだけで気分が悪くなるし、吐き気がする。心ある人たちと結びついて少しでもよく変えたいです。


よく知らないけれど、そのための熟議の運動なのかなと思います。本が教室にないよ。大人が本を読もうよ。国のお金を使ってでもポケットマネーでも何でも誰でもいいから本を買って教室に置こうよ。指導法の改善よりも、ソフト(勉強嫌いにさせるリスクが少ない)で即効効果があるし、長期的に大きな効果がある環境創りを先にしたほうがいいと思います。各学級に本を買う予算をつくろうよ。優先する力点が日本の教育はよくないと思う。人の能力と関係ないところを先に変えるほうがすぐにパフォーマンスの改善に結びつくと思います。



新人教師が大変な最大の原因は、その現場にあるんじゃなくて、その前の教育にあるのだと私は思います。でも戦場に立てばそんなことは()に容れて勝負するしかないです。うまくいかないことも多いけれど、ビジョンやゴールを描くことも含めてプロセスに集中して最善を尽くすこと。それが自分にできること。できることを今日もやろう。こんなことしている場合じゃないけれど、今の中学校の数学の授業にはショックを受けた。卒業して14年くらいになりますが全然変わっていなかった。相対評価がなくなったことはよかった(これで余計に授業に参加していないのかもしれないです。でも自分の授業も含めてそれだけの授業なんだと思います。)。


ミスマッチな授業なのに静かになっている(勉強していると見せかけさせている)大きな原因は、
権力を使って静かにさせていることだと思います(意思的にも無意識的にも)。成績。単位。上下関係。権力関係。これは受験生が多い小学校でも起きることだと思う。大学でもある。日本の教育の多くは権力をうまく使う教育だと思う。
自分が中学生の時には高校に進学しない明るい未来というのを描けなかった。描く能力がなかった。実際に大学まで行けるなら学歴とか関係なく、職業は関係あるけれど、いろいろな意味で行ったほうがいいと思う。外発的動機づけがメインで引っ張る教育は不幸だからやめたほうがいい。内発的動機づけをベースにすることが経験の質を高めるためにこれからの教育で欠かせないことだと自分は思います。少なくとも自分が受けたほとんどの学校教育の動機付けの原動力は権力だったと思います。ほとんどの授業の学習自体に喜びなんてなかった。