読書 自由と規律

自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

一読したいと思っていて、やっと読めた。イギリスのパブリックスクールの話。興味深かったが、正直パブリックスクールで学んでみたいとは思わなかったです。でも印象的なところや考えさせられるところがたくさんありました。よいところから学ぼうと思います。



「オックスフォードやケムブリッヂの、自由な、飽くまで豊かな生活に比べて、パブリック・スクールのそれは、きわめて制限された、物質的に苛薄な生活である。そしてそれは、パブリック・スクールの教育の主眼が、精神と肉体の鍛錬におかれているからに外ならない。これは、よい鉄が鍛えられるためには、必ず一度はくぐらねばならない火熱であり、この苦難に堪えられない素材は、到底、その先に待つさらに過酷な人生に堪えられるものとは考えられないからなのである。叩いて、叩いて、叩き込むことこそ、パブリックスクールの教育の本質であり、これが生涯におけるそのような時期にある青少年にとって、絶対必要であるとイギリス人は考えているのである。」6項

「叩いて、叩いて、叩き込む」何を叩き込むのかが問題。でもこの考えは大切だと思う。読書や書くこと、学び方、科学的思考のプロセスや態度など、一生の幸福の軌道(基礎)を叩き込みたい。いい知識や経験は人が生きることを容易にすると思う。例えば心の強さにつながる知識や経験は生きることを容易にする。心が弱ければ弱いほど、生きることは困難だ。


「その行為自体の善悪が問題なのでない。ある特定の条件にあるある特定の人間が、ある行為をして善いか悪いかはすでに決っていて、好む好まないを問わずその人間をしてこの決定に服せしめる力が規律である。そしてすべての規律には、これを作る人間と守る人間があり、規律を守るべき人間がその是非を論ずることは許されないのである」61項


「『生徒の多くは裕福な家の子弟であるから右のような欠乏が経済的必要から来たものでないことは明らかである。食物量の制限は思春期の少年の飽食を不可とする考慮に出たといふ説もきいたことがある。何れにしても何事も少年等のほしいままにさせぬことは、自由を尊ぶイギリスの学校としてわれわれの意外とすべきものが多い。しかし、ここに長い年月の経験と考慮とが費やされていることを思わねばなるまい。』
そして更に、
『かく厳格なる教育が、それにようて期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正として邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養い、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ。』」88項




「ドイツのフランクフルト市の警察犬を訓練する専門技師の話をきいたことがある。気分が秀れなかったり何か気懸かりなことのあるような日には、自分は訓練を休むことにしている。そのような時には、何かのはずみで訓練中、こちらがほんとうに怒ってしまうことがある。訓練課程にあっては、犬を叱ることは必要だし、鞭を使ったり、時によっては足で蹴らねばならない場合さえある。しかしただの一度でもこちらほんとうに怒ってしまったら、もうその犬の訓練はおしまいである。犬がこちらを軽蔑するからである。軽蔑する人間の訓練など、犬でさえ受けつけるものではない。」118項


「しかし彼らが青少年に訴えるところで特にわれわれに強く響くことは、要するに、正直であれ、是非を的確にする勇気をもて、弱者を虐めるな、他人より自由を侵さるるを嫌うが如く他人の自由を侵すな、このようなことであると思う。」121項


「語学なんてそんな生易しいものじゃないんだ。真赤な火の中に突込んで鉄床の上にのせて、こいつを鉄槌でガンガン叩くんだ。ガンガン叩く。火花が散る。ジューッと水につける。また叩く。叩いて叩いてまた叩くんだ。二,三年で忘れてしまうなら外に方法もあるかも知れない。しかしほんとうにその語学を身につけるんだったら、地獄の火を通して叩かなければ駄目なんだ。」125項


「いまは勉強だけすればいいんだ。外のことは皆忘れてしまえ。川に落ちて死ぬなんて、そんな贅沢な身分じゃないんだ。一にも二にも勉強だぞ。判ったか。」128項