読書  「協同」による総合学習の設計

「協同」による総合学習の設計―グループ・プロジェクト入門

「協同」による総合学習の設計―グループ・プロジェクト入門

再読。
2,3年前に絶版+古本も手に入らなくて、
リテラチャーサークルの資料と一緒に国会図書館で読んだ。


去年古本で手に入った。今もアマゾンにあると思う。


協同によるプロジェクト学習の本。凄くいい本。
自分はプロジェクトはグループプロジェクトでも個人プロジェクトでもよいと思っています(協同のレディネスがある程度あって、できればグループのほうがよりよいと思います。)。協同よりもその人が本当に関心があることを調べられる方がより価値があると思う。これに加えてproject based learningとビックスキルズ6の本を参考に探求学習(調べ学習)について勉強しています。テーマ学習に合う単元はできれば社会科、理科問わずに基本知識の確認・共有→探求学習に持ち込みたいです。


第一章の理論では協同学習だけではなく学校教育全体の指針を得ることができる。デューイは偉大だと本当に思う。


「教育の方法は、基本的には、生徒が市民として生きるという目標にそってデザインされるべきなのである。学校学習を、大人として生きるための生活の準備だと理解させるのが教育なのではない。子どもたちの将来の生き方に影響を与えるような、価値や知識や技能を育てようとするなら、学校は彼らの”今の”の生き方に対しても深い意義と一貫性をもたせなくてはならない。将来を見すえた教育は、現在を重んじなくてはいけないのである。」p3


「デューイはまた推論(演繹的であれ帰納的であれ)と現実世界の関連性について経験し理解する過程を、生徒に体験させる必要性があると指摘している。デューイは、知識が生み出された過程を授業で追体験させるべきだと考えている。」p5 

これなんか理科の実験のプロセスそのものだと思うけれど、何をしているのか分かった上で、方法(学び方)としての科学を身につけることが大事だと思う。


帰納法の説明は「新しい科学論」の事例(未知の生物のデータを複数出して、足が何本だ、色は何だとか一般化する。ヘタな絵でもいいからたとえでデータを複数提供する。その上で気付いたことを出してもらう。)やニュートン万有引力の事例を使うと分かりやすいと思う。ニュートンの事例はたしか斉藤正二先生が牧口の先生の教え方についての語っていたときに使っていた。いきなり本かペンか落とす。どんどん上から落とすようにしていったらどうなるか。地球から離れれば地球に物体は落ちてこなくなる。ここから一般化した知識が、たしかすべての物質が引き合っているという万有引力の法則でした。



p13に「学校と社会」から引用されている、動機付けの考えはもの凄く大事なことだと思う。

「どんな教材に対しても、意図や意向が適切ならば、直接関心をもたせることができるという考えが一般的である。そうならないのは、子どもが浮かれていたり、従順でないことによると考えられてきた。算数や地理、文法の課題が子どもに示され、それを学ぶために注意が喚起される。しかし、その注意を基礎としての疑問や質問が心の中に存在していないなら、深い関心を持つことは不可能である。教材が十分な内発的興味をもたらすものであれば、直接的または自発的な関心が生じるだろう。関心が生じることはよいことかもしれないが、それだけでは思考力や内的な精神的統制力を与えることにはならない。教材のなかに固有の魅力がないと、……教師は『授業をおもしろくする』ことで注意を引こうとその教材を別の魅力で粉飾したり、餌をぶらさげたり(報酬で強化する!)するようになる。……しかし、①そのようにして呼び起こされた関心は部分的か個別的なものに過ぎず、②関心が常に外的な何かに依存しているままの状態となる。このゆえに、魅力がなくなって、強化の力が取り除かれると、内的、または知的な統制を与えるものは何もなくなってしまう。そして、③関心は、記憶や他人がよく与える質問へのレディメードの答えを学習するためにだけ向けられるようになる。一方、深い関心は、常に判断や推理、熟考を伴っている。それは、目標に照らして教材の意味や関連性を考慮しながら自分なりの疑問をもち、それに答えるための関連性のある材料を求め、取捨選択に能動的にかかわることを意味している。問題というのはその人自身のものである。また、獲得された訓練もその人自身のものである。……だから子どもが問題を自分のものだと自覚し、そうすることでその答えを自分で見つけ出そうと自ら関心を引き出すように指導しなくてはならない。」13項、14項



「デューイは、内発的動機づけの特徴として次の2つをあげている。つまり、①人は、自分自身のこととして追求したいと思っている目標や活動は、外部から押しつけられたものとは感じない。そして、目標に到達する道や取り組みの方法を積極的に探求する。②私たちは、自分の興味によって動機づけられたとき、課題にすぐに取りかかろうするだけではなく、そのための方法を見つけようと行動し、自ら活動に従事する機会を創造する、というものである」14項


「そういった『教材』の問題だけではなく、生徒が彼らの勉強するテーマと取り組む方法を的確に選択できるような、練習の機会が必要であることも銘記されるべきだろう。」15項


RWの選書と同じだと思う。



19項の「協同と競争」というコラムはこれから直面する壁だと思います。目標から協同と競争を定義するということがとても面白いと思いました。


ドイチュは、「協同と競争の概念を再検討し、それぞれの定義は集団の「過程」ではなく「目標」に関してなされるえきだと提言しました。すなわち、協同とは、集団のメンバーが全員同時に到達することができるような目標が設定されている事態をいい、競争とはメンバーのうち一人でも目標に達したら他のメンバーは目標に達することができない事態をいうとしたのです。学校での学習に即して考えれば、学級のメンバーひとりひとりの成長が互いの喜びであるという目標のもとで学習する場合が協同であり、学級の中での順位を目標にして競い合うような事態が競争と定義されるのです。」19項


この人の考えだと、よい意味で競争、目標をもって切磋琢磨しているような関係は協同だと考えるそうです。よく読んだらWIN−WINを目標にすることが協同ということか。