吉田松陰

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 諸君は、吉田松陰という人をご存じだと思います。彼は、二十九歳の若さで刑死しておりますが、松下村塾という学舎から多くの優れた門下を育てあげ、明治維新という大事業を成し遂げる原動力となった人物であります。
 幼少のころから、松蔭の勉強ぶりは大変なものであった。八歳で、長州藩の藩校である明倫館の教授見習になっており、また十歳のときには、藩主の前で講義までしております。読書の量と時間も驚くほどだったようであります。松蔭は、旅行中のわずか七十日ほどで、百冊以上の本を読み、その一部を書き写しております。
 また松蔭は万巻の書を読み、なんと囚人仲間で勉強会まで行っている。
 それによって牢獄の空気は一変して、殺人や傷害などで何十年も獄中生活を送っていたような囚人までも、深く松蔭を慕うようになったというであります。
 向学心に燃えている人、勉学にいそしんでいる人は、多くの人々に、しぜんのうちに尊敬をいだかせるものであります。
 この松蔭の勉学の精神は、何を目的としていたか。それは「新しい日本の夜明けをつくろう」との鉄石のごとき「志」であったのであります。
 ともあれ、死を数日後にひかえた松蔭は、門下生に次のように遺言しております。「君たちは、私の志を知っているはずだ。だから私の死を悲しんではならない。私の死を悲しむことは、私の志がわからないからだ。私の志を知るということは、その志を主張し、おおいに広めていくことだ」と。松蔭門下の若者たちは、師の「志」を継いで、新しい日本の建設に思う存分、生命を賭して戦い進んでいったのであります。そして大勝利をおさめました。
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56巻、384項


吉田松蔭が刑死した29歳。19歳のときに人生が変わる出来事が心に起きた。あれから10年。


三猿のレクチャーをガイドさんから受けて、
親になるのが第二の誕生なのかもしれないと思った。意味づけ。
自殺しそうになっている猿を後ろから寄り添うようにしている猿の彫刻が一番よかった。


学習態度って人生に対する態度とほぼ同じだと思う。19歳の時に生まれ変わった。今一度決意しなおして前に進もうと思います。