葛飾北斎 学びの人生は永遠に若い

==========================================
 さて本日は、私の所感の一端を申し上げ、送別のはなむけとさせていただきます。
 それは「”学び”の人生は永遠に若い」ということであります。確かに現実の社会に出ると、仕事も多忙である。読書など思うようにできない。いわゆる学問の世界から次第に遠ざかっていくかもしれない。
 しかし、私自身の体験のうえからも、”学ぶ”ということは本来、そうした狭い意味に限られたものではありません。
 有名な吉川英治の言葉に「われ以外みなわが師」とある。社会、人生のすべての経験が広い意味での”学問”の対象なのであります。この一点を忘れたところに近代の錯覚の一つがある。
 要するに、肝心なことは、すべてから学んでいこうとする志と一念である。すなわち、きのうよりきょう、きょうよりは明日と、向上の坂を上りゆく、みずみずしく生命力と学びの姿勢があるかどうかで、人生の勝利が決定づけられることを忘れてはならない。
 新しい知識の習得のみが、学ぶということの本当の意味ではない。最も重要なことは、学ぶことによって自分自身が「新しい自分」になっていくことであります。これを忘れたところに教育界の迷妄と混乱の大きな理由があるといってよい。
 スイスの哲学者ヒルティは「すべての正しい教育は、全生涯の主要事業である自己教育に人を導き入れるものでなくてはならない」と述べている。学問といい、教育といっても、自分自身の成長と向上につながっていかなれば何の意味もないのであります。
 その意味からも、皆さんは、すべてのものごとから「何か」を学んでいこうとする謙虚にして若々しい心を生涯、持ち続けていただきたい。
 生涯にわたる、その道ひとすじの志といえば、私は浮世絵の第一人者である葛飾北斎を思い浮かべます。
 自ら「画狂老人」と称しているように、北斎の絵画への執念はすさまじかった。貧しいなか、九十歳で天寿をまっとうするまで、その青年のような情熱が衰えることは、まったくなかったのであります。一説によると、その間に描いた絵の数は三万五千点にものぼるといわれている。
 プラトンがペンを握りながら死んだという逸話は有名である。北斎もまた、いまわのきわまで絵筆を手にし続けたといっても過言ではありません。
 その北斎が、有名な「富嶽百景」のあとがきに、次のような意味のことをしるしております。
すなわち「自分は六歳のころから物の形を写すのが大好きで、五十くらいから、世間に評判なるものを数多く残してきたが、七十くらいまでの作品は、とるに足らない。七十三歳にして、鳥や獣、虫、魚などの姿かたち、草木の育ち方をどうとらえるかの勘どころがようやく分かってきた。そういうわけだから、八十歳になれば、ひとかどの線にまで進むであろうし、九十歳になれば、その道の奥義を極め、百歳では、人間離れした神技の域に達するであろう。さらに百十歳になれば、どこからみても、そのものをつくり、あたかも生きているかのような写生をものすることができるであろう」というのであります。
 口先だけで”生涯学習””生涯教育”ということなどまったくかすんでしまうほどの、すさまじい気迫がある。執念があります。
 自分は偉いと思う、いわゆる増上慢で人生を生きる人には魅力がなくってしまうであろう。ゆえに人々の心も離れてします。また自分自身が、どこまでいっても、真実の幸福という満足の到達点を得ることができないものであります。
 この北斎の言葉に感動したフランスの大彫刻家――「考える人」や「永遠の青春」等で有名なロダンは、「優れた頭脳になると、生存の最終端に至るまで、自分を育て、自分を豊かにしてゆき得るものだ」との賛嘆を寄せています。
 ともあれ皆さんは自分自身の偉大なる歴史を作りあげていっていただきたい。生涯、若々しく、忍耐強く、我が信念の道を、我が向上の道を、一歩また一歩、一日また一日と、歩みぬいていただきたいことを心よりお願いして、私のお祝いのあいさつとさせていただきます。
==============================================Ⅱ 175項

学び続けよう。まだまだこれからだべ。はじまったばかりだ。