よかったこと
・2年生は一年間
、4年生と6年生は途中から。約2年間で低学年と中学年と高学年を経験できた。


・どの職場でも力があって人格的にも光っているステキな人たちに恵まれていた。最近もそうだけど奇跡的に恵まれていると思う。正直教員に向いていないかもと思う時が何度もあるけれど(ただ読書など学ぶことが大好きなので、その点は教員に向いていると思う。)、奇跡的に人に恵まれていることから、たぶん何か意味と使命があるんだと思えることがチャレンジを続けようと思える要因の一つです。


・RWの日本の実践の最先端にあり、先駆者である敬愛する先生のクラスで仕事ができたこと。


・2年間を振り返ると、どの学年でも本を嫌いだった、読まなかったと言う子が本を読むようになった、本を好きになってよかったという評価を保護者の方や子どもたちからいただきました。野口芳弘先生の国語教育雑誌で読書教育について特集がありました。そこで印象に残っていることは、巻頭言に野口先生が結局、いろいろ指導をしても本を嫌いな子や本を読まない子が主体的に読むようになることはなかったという内容を明言されていたことです。しかしそれを可能にするものがRWにあるということです。この経験から分かることはRWの要素(考え方や方法)には読書嫌いな子たちを読書好きに変える働きや力があるということです。選書ができる、自己決定というファシリテーションやワークショップ的な考え方の力は大きいとおもいます。RWは世界的にもたぶん極めてユニークな国語の授業だと思います。全部できなくても部分的に考え方と方法を導入するだけでも効果がある。



ここ2年間の改善点
・特に「聞く態度」。けじめ。学習規律の部分。
・叱り方の甘さ。もし叱るなら中途半端な関わり方じゃなくて心の悪の根を一撃で絶つくらいの一念で関わることだと思う(本当には絶てないけれど。コントロールするしかないだろうと思う)。いかに習慣づけるか。これが結局その子も周りの子も守る方向に繋がると思う。叱り方が中途半端だから多くの子が同じことを繰りかえして、また何回も叱ることになってしまう。何回も叱ることになると一回で済ますよりも心を冷やしてしまうなどよくないことがたくさんあると思う。叱らないで済むのが一番だけど…。キッズスキルなどの考え方から考えるともっと積極的な意味で叱る場面が生まれないような手立てがあることが前提。それでも、もし叱るなら一回で済むように叱ること(これは最初の学校で同じ年くらいの先生にアドバイスされたことだけどずっと心に残っています)。意味は後から分かればいいということもある。長い間やって考え続ければそのうち分かる。北風と太陽の話を思い出す。本当は太陽でよくできれば一番いいのだけど、それが出来ない時に何もしないわけはいかないと思うのと同時に注目しないというアドラーの考えも思い出す。でももし叱るなら一回で済むようにするということはいいことだと思う。
・「一生懸命」「全力」。
・「丁寧」。
・もっとほめて励ますこと。


・すべての勤めた小学校で授業のはじめと終わりに全員であいさつをするようにという指導を受けてやってみたけれど、遅刻者などは待たないで授業は時間通りにはじめるのがいいと思いました。遅れてくる人を待つのは僕はあまりよくないと思います。遅れない人を一番に大切にするべきだと思う。理由はどうあれ遅れてくる人のけじめ(ルール)だけは守らせて、時間通りにはじめるのがやはりいいと思った。一秒も待たないで時間通りにはじめて、時間通りに終わるのがいいと思う。授業のはじめは「授業をはじめます。」で子どもたちは説明を聞く姿勢つくる。終わりは「これで授業を終わります。」で十分だと思います。遅刻者を待って大学は全員そろってあいさつなんてしなかったと思う。どこの大学でもそうだと思う。本当にいいことなら続ければいいのに、たぶんどこもやってない。時間通りにはじまって時間通りに終わるのが普通で、それが当然価値的とされていると思いますし、実際にそうだと思います。会議と同じではじめと終わりを区別する(けじめをつける)言葉「はじめます」「終わります」などが必要なだけだと僕は思います。「よろしくお願いします」「ありがとうございました」というあいさつがあればよりいいと思うけれど、遅れないで集まった人たちではじめるべきだと思う。遅れないまじめな人が損するような経験はダメだと思う。遅刻者に一秒も他の人の貴重な学習時間を盗られたくないです。


・ワークシートなどの学習成果をファイルに閉じるなど、ためられるような仕組み作り。