創価教育学のスローガン

①経験から出発せよ
②価値を目標とせよ
③経済を原理とせよ


この部分での経験から出発した理論という工夫というか、
そういった話が少ないというかほとんどないような気がします(でもあまり教育部の会合に出席したことがないので本当のところは分からないです)。


すごく大変なことが現場であって祈って乗り越えたという話がとても多いです。
それはそれでこのスローガンに合致しているからいいのかもしれないけれど…。
結局、どの戦い、仕事においても祈ることは大きな効果があるということを無数の体験談と自分の経験からも実感するところです。一見無駄な時間なように思えてとても経済的で価値的なことが祈ることだと思います。脳科学などの分野で祈ることについて書かれている書物がたまにあるけれどああやって合理的に説明することもできると思います。しかし説明できない部分も残ると思う。


実践レポートというのが5万件を超えたらしいです
そこから一般化して分かること説明できることについてのお話を読んだことがあります(それは祈りやお題目というお話ではなくて子どもたちとの関わるときに教師に求められる関わり方というお話でした)。だからいいのか。レポート自体はどこで読めるのだろうか。今日聞くのを忘れてしまった(特に読書教育について読んでみたいです)。素晴らしい教育自体には必ず一般化できる何か普遍的な理論が含まれているものだと思います。創価教育学のスローガンは理論の理論で大理論だと思う。



経済を原理とせよというのは、
算数の教育の世界で最近知った「はかせ」という考えと似ています。「はやく」「かんたん」「せいかく」が算数の世界はいいという話。少ない時間と費用で高い効果のあることを研究すること。時には急がば回れでもいい。真の意味で効率性を目指すこと。このスローガンの「経済を原理せよ」というのは、たしかマッハという西洋の哲学者の哲学から来ているらしい。


創価教育学体系はもう一度読み直して、斎藤先生の研究も再読・熟読したいです。


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【思惟経済 Denko゙konomie】
 マッハ(『感覚の分析』)
 科学は経験的事実を説明するものなどではなく、単にこれを記述するのみで、その際、できるだけ多くの事実をできるだけ少ない思惟の労力で記述しようとする〈思惟経済の原則〉が働いている。つまり、科学の概念や法則は、実は、人間の意識から独立の客観的実在に根拠を持つものではなく、この〈思惟経済〉という主観的な実用目的の産物にすぎない。
 それゆえ、事物も自我も恒常的な実体ではなく、個別諸科学において経済的思惟のためにそれぞれに措定された関数的依存関係に基づく〈感覚要素〉の複合体にすぎないものであり、そしてまた、このような対象は、すべて〈感覚要素〉から構成された仮設的なものとしていずれも等価である。また、このような思惟経済化のための要素の構成を排した所与の現象そのものは、実はむしろ不可分な、ひとつの全体でしかない。
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http://www.edp.eng.tamagawa.ac.jp/~sumioka/history/philosophy/kindai/kindai04b.html


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しいけいざい‐せつ〔シヰケイザイ‐〕【思×惟経済説】
できるだけ多くの事実を少ない概念で完全に記述することにより、思惟の労力の節約を図ることが科学的認識の根本的原則であるとする説。マッハらによって説かれた。思考経済説。
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http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/92980/m0u/