「この場合、モンテスキューは、明らかに、政体・法則・教育・政治的自由・風土・習俗および生活様式・宗教・商業および貨幣制度などをすべて一緒くたにして対象に据えた発言をしているのであるが、いま教育の領域に限って検討するとすれば、教育の法(教育に関する一般法則)leslois de l'educationもまた《関係》によって作られた極めて《相対的》なものでしかない、すなわち、普遍妥当する絶対的な教育理論などこの世に存在しない、と言っているのだ。これこそ、真の科学的思考のアルファでありオメガである。近代の御用教育学は、この《相対化》の思考をいちども持ったことがなかったし、むしろ意図してこれを圧殺して隠蔽した。一方、良心的で進歩的な反体制教育学もまた、自己の主張のみを《絶対的》なものと思い込んで自己陶酔に浸り、結局みずからの思考を瘠枯貧寒な状態におとしいれてしまった。どうしても、ここで、いちど教育学はモンテスキュー的《相対化》ないし《関係思考》の正しさ(そして、それゆえの豊かさ)に立ち戻って、新たなる再出発を図る必要があるように思われる。」『斎藤正二著作集7』13項


「この場合」が指すのは「わたしは、これらの諸関係をすべて検討するであろうが、これら諸関係こそがすべて相集まって謂うところの『法の精神』を形成しているのである。」というモンテスキューの言葉。


モンテスキュー牧口常三郎とマッハ。


「法の精神」

「関係」と「経済」