真の賢者にはどうしたらなれるのだろう。
真の賢者はどうしたら育てられるのだろう。
やはりトルストイなど言うように宗教が欠かせないのだろうか?
宗教を学ぶことによって
誤った俗見から抜け出した。宗教を実践することで感じるものはあった。
友川カズキは本に出会うと同時に中原中也にであった。たしか「骨」という詩です。自分も本に出会うと同時に日蓮に出会った。それは相対的かもしれないけれど、地球のいろいろな宗教を調べると優れているように判断できた。言葉というものは手段であって、伝えたいことがある。宗教という言葉の通り、おおもとのことを教えたい伝えたいということですね、きっと。そのおおもとにことについて考えることは自分の世界観を広げたし、自分にはプラスに働いていることは間違いないと思う。酷い人間だったけれど、少しはマシな人間に変容していると思う。これだけでも奇跡かもしれない。学問や科学もその仕事をしてくれるのかな。宗教の代わりができるのかな。それともできないのかな。
トルストイは理性は良心だという。そう考えるとやはり真の学問は人を育てるのだと思う。学問は科学を包摂する。学問は科学の限界や宗教の役割を区別する。
理想というか(異常すぎるので)、
もっとまともな世の中になってほしい。
そうしたい。異常すぎて冷静に考えると気分が悪くなる。
自然にはまともな世の中にはならないだろうと思う。最悪の結末もある。
まともな世の中にはまともなルールや法律がある。それを創るのはまともな人たちだし、それを守るのもまともな人たちです。
もともと権利は戦って勝ち取るものです。自然にはないです。