ちょっと難しいけれどこの話してあげよう、3学期。

★読むことは心の大地を耕す

こんな昔話があります。
――父の遺言で「あの荒れ地の中に宝がある」と、息子たちが聞いた。怠け者の息子たちだったが”宝”がほしいばかりに、毎日、一生懸命、荒れ地を掘った。人間は”宝もの”に弱いらしい。なかなか宝は出ない。しかし、まじめな父の言うことである。どこかにあるはずだ。
こうして、一年たった。いつのまにか荒れ地は立派に耕されていた。ある人が、それを見て、「こんなに見事に耕された土地なんて、ほかにない。どんな作物でもできるだろう。すごい財産だ」とほめた。
息子たちは、はじめて悟った。父親は、自分たちに「労働」という”宝”を教え、土地を耕させるために、財宝の話をしたのだ、と。父の話はうそではなかった。探していた宝は、まさに”土の中”にあったのだ。父の心がわかった息子たちは、感謝しつつ、以来、いつまでも仲よく、栄えた――という物語です。
この話からは、さまざまな教訓を引きだせると思います。読書について言えば、”読む”ことも「心を耕すクワ」と言えます。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではないのです。本来、それらは全部、自分の中にあります。
しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出しはじめます。「文化」すなわち「カルチャー(culture)」の語は、「耕す」すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきています。自分を耕し、自分を豊かに変えていく。そこに「文化」の基本があります。
あらゆる賢人が読書を勧めています。人生の”実りの秋”に、大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に、”挑戦また挑戦”していただきたいです。



【裏(うら)へ】





少し難しいですが、同じような内容でヘッセとユゴーの言葉を紹介します。今分からなくてもしばらく時間が経ってからまた読み返してみてください。


ドイツの詩人で文豪(ぶんごう)のヘルマン・ヘッセに、「書物」と題する詩(『夜の慰め』高橋健二訳〈人文書院〉所収)があります。その趣旨(しゅし)はこうです。
――書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。

――君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。
――そして、その内なる光をつかんだとき、今度は、その英知の眼で書物を読むと、あらゆるページから、知恵が輝きでてくるのが見える。
こういう詩です。
つまり、読書は自分自身の中にある英知を磨くものです。充実した、また晴ればれとした心の世界を開くものです。
だから、いくら、たくさんの知識(ちしき)を持っていても、謙虚(けんきょ)に自分の”内なる世界”を見つめない人は、真の読書の人とはいえないのです。
わが”内なる光”を発見するための精神の航海。わが”内なる宇宙”への旅−−それが読書なのです



「読むことを学ぶことは、灯(あか)りをつけることである。拾(ひろ)い読みをしたすべての綴(つづ)りが、光を放つのである」
ビクトル・ユゴー