算数科の目標は概念の理解。
そこが目標。だから子どもが説明するんです。RWも手段。

説明だったらどの科目でも必要なこと。
どの科目でも概念の理解が大切だから説明は当たり前。
説明を目的にしたら絶対アウトだと思う。説明はテストだから。説明は重要な手段。


概念の理解を目標として、「経験から出発して」「価値を目標として」「経済を原理」としなくちゃ。そこで何ができるかが教育学の理論の研究。理論の理論、大理論、人類の歴史から普遍的なことです。これはてきとうに牧口先生が思いついたことじゃないんだから。




わかった。何が問題か。
説明を授業のゴールにしていいのだけど、
その説明のテストが一部の人だけになっているのが日本の多くの授業の大問題なのだと考えました。違和感はこれです。


そうか、これ改善するアイデアを提案できたら面白い。
そういうアイデアはもうすでに出てるか…。
それを提案してみたらいいかも。そういうことができる職場かもしれない、今の職場。


概念の理解のためには、一斉にどう見せようとか説明を教師がどうしようとか凄く考えてる。評価やテストに問題があったのか…。だからそこまでの過程にも問題が出てくるでしょうね。



授業の最後の一斉のミニテストするか(その後にフォローの仕組み)、オランダのイエナプランかそれぐらいしか知らないです。
でもどちらでもよりよくなるとなると思います。



さらにわかった。
ペアで説明で全員を看取ることは不可能。だから書かせることが大切なのか。
もうわかっていることがよりわかった。そこつっこんでみようかな。そういうことをいえるいい環境かもしれないです。


しかしホワイトボードを使ったらペアの不可能ではないかもしれない。
とにかく改善の余地があって、自分にも提案できることがあるかもしれないってことか。


いい授業(できるだけ多くの子たちを救おうとする授業をしようと意図するけれど《当然のこと》だけど)、科学的にも経験的にもほぼ確実にそれができることは期待できないから、それをフォローする仕組みが考えることが大切。そこの思慮がほとんど日本の教育はないと思う。そこを徹底するべき。まず改善すべきことは一つの授業ではなくて全体の仕組み。全然違う現実がありえる。



授業内で全部見とれるという考え方が根本的に間違っている。だから書かせて評価して修正する必要がある。逃げみたいな姿勢かもしれないが、理想はここから考えるのが必要条件。



全体で練り上げてそれで終わっちゃうとやはりすごく違和感がある。それだと全体としてうまくいかないように思う。



学び方を重視するのか、
概念の理解を重視するのか、何にウェイトを置くかでも授業が変わる。
全体の練り上げでみんな分かったことになっている。それはほとんどありえないと僕は思うなあ…。