十代の時から思っていることは、
社会科の教科書、例えば歴史の教科書なんて
通読してからがはじまりで、その後に何を探究するかだということ。
あのうすっぺらな教科書の知識だけ頭につめこんでどうすんの?



学生時代に読んだ本以上のレベルの本を社会人になって読むようにはならないと言われます。学生時代に教科書だけ、雑誌レベルで止まったら、その後にそれ以上に発展することはないかもしれないです。


中学や高校の学校の中で探究とか優れた本を実際に読むような経験をさせることが絶対に必要だと思う。教科書レベルの詰め込みで終わってるから低い投票率なんだと思う(それもほとんど忘れちゃう)。教科書の知識なんて全部暗記してもしょうがないです。あそこからどう知識を深めていって、そしてどう生きていくかなんだから。探究していれば教科書の基本的な知識は全部ではないけれど或る程度は自然に身につきます。忘れたらまた資料を確認すればいい。覚えている必要ない。覚えることにエネルギーを使うよりも探究したほうが効率的です。結果的にそのほうが基礎知識が身につきます。


エネルギーの使い方が非効率的で不幸だったのか…。労多く益少なし。



本当に優れた良書が教室にある環境が中学や高校に当たり前にあって、
読む時間が保障されるだけで、だいぶ変わってくると思う。
まずに本当に優れた本に出会えない。その本と子どもたちをつなぐのが大人の役割だと思う。歴史とか化学と数学とか、本当に優れた良書を読めば学びたいという情熱が自然とわいてくるものです。大戦略として欠けているところ。


最近の社会科の授業も問題解決学習の方向なのだろうけれど、
すごく浅いところで終わってしまう。しかも一斉型がほとんど。
いわゆるプロジェクト型の探究学習をしているのを見たこと、聞いたことがほどんどないです。



6年くらい同じことを何度もぶつぶつ言っているけれど、
ここが改善されないと中学生や高校生がかわいそうだと思う。悲惨な時間の使い方。いい経験がその後のリスクや不幸を減らす。



投票率の低さと選挙の結果は日本の教育がいかに低レベルかということの表れであり投票率と選挙の結果は教育の成否の指標だったと思います。本物の学力は生活の中に出ます、たぶん。消費活動とか…。賢い投票とか消費活動など賢明な生活につながらない社会科のお勉強はにせもの。


きちんとした歴史や社会科の概念の理解や学習の深まりがあれば投票に行かないなんて選択なかなかあり得ることではないと思います。よほど酷いブラック企業に勤めていて投票に行く暇とエネルギーすらないのか、政治に無関心なのか、何なのか。おそらくほとんど社会科の知識の理解がないか、その学習が深まっていない結果なんだと思います。ぼくが受けた社会科の教育は本当に教科書の知識をぶつぶつ独り言のようになぞるだけだった。あれじゃほとんど意味がない。寝てるか他の本を読んでいて本当によかった。独学で自分を救うしかなかった。ここについて思い出すととまらなくなってくる。止める。