今日は敬愛する伊藤貴雄先生に
ベストセレクションの本を教えてもらいました。


残りの人生は限られているので名著に集中して、酷い本は避けるようにしたいです。


価値は教えてもらわないとわからないことがものすごく多いです。
宗教でも本でも芸術でも何でも価値は信頼出来る一流の人に教えてもらうのがはやいです。



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「人間が勉強して対象を追求して行くならば、よほどのことがない限り、最後の『真理』に到達する。ところが、『価値』の方は、たとえば、道徳的な正義については、教えてもらわないと分からない。経済的な利益についても、探求すればいつかは誰でも金持ちになれるとういものではない。
 芸術についても、やはり我々はバッハやハイドンモーツァルトやベートーベンという大先輩から、これが美なんだよ、と教えられたから、美しい音楽というものがどういものかを分かるのです。
『人間になりますと、人間というのは教えてもらうことによって、人間のあり方を教えてもろうて生きがいを感じる』というのは、こういうことなのでしょう。
 私は、自宅に訪ねてきた女子学生が『先生、トレイを貸してください』と言うと、怒ります。『駅でちゃんと済ませてきなさい。デパートのトイレが一番きれいなんだから』と。こういうことは、人に教えてもらわないと分からないんです。教育は、そういうことが大事なんですね。単に勉強して、探求して、考えに考えた結果、他人の家のトイレは借りるものでない、という結論を出すということはあり得ません。」「牧口常三郎研究の第三段階のために」『創価教育』3号155項
これは湯川秀樹梅棹忠夫の対談『人間にとって科学とはなにか』という本からの話。その本からの引用。
「人間になりますと、人間というのは教えてもらうことによって、人間のあり方を教えてもろうて生きがいを感じる。これ、非常に突き放したいい方やけれども、大多数の人間は教えてもらうことによって目的とか価値をつくるんで、ほっといたら、価値体系なんか何もつくらんじゃないか。価値体系というようなものは。生命の進化の中で、非常に複雑なプロセスをくぐって現れるものなのですね」『人間にとって科学とはなにか』77項


湯川秀樹は言っています。『今から二千数百年前に、大宗教家や偉い思想家がぼつぼつ現れるでしょう。そういう時期がある』釈迦や孔子ソクラテス、それから四百年遅れてキリストが出ますね。こういう時代をヤスパースが『枢軸時代』(Achsenzeit)と言っています。この四人の偉大な思想家、宗教家が誕生したことは、人類にとって本当に幸運だったのです。
 そしてこう述べています。『それ以前もあったかもわからんけれども、それ(=偉大な思想家)がかたまって出てくるときでさえも、実際には非常に少数です。少数の人が広い意味での価値体系というものの重要性を教える。それによってたくさんの人が教えられ、価値体系がどんどん広がる。これはたくさんの人が、それぞれ別個に、独立して、自分の価値体系をつくるのと全然違う現象ですね』。
 たぶん、われわれも『価値』について考えるときに、この湯川の指摘を頭に置いておくとよいでしょう。宗教を例にとれば、宗教学のように、『真理』の一部分としての宗教というのは当然あります。しかし、宗教そのものの『価値』を自分のものにするには、いくら宗教学を勉強してもダメなんです。宗教学を勉強して、やれ信仰がどうしたとかカリスマがどうしたとか勉強しても分からない。
 ではどうするとよいか。宗教の価値を自分で体得し、自分の血肉とするには、やはりそれを教えてくれる教師、あるいは偉大な宗教家が必要である。このことを科学者である湯川秀樹が述べているのです。この観点から、私たちは、改めて『価値』を自分のテーマとして引き受け、考え直す必要があると思います。」「牧口常三郎研究の第三段階のために」『創価教育』3号155項



斎藤正二先生の研究の価値も、伊藤貴雄先生に教えてもらって体験して、分かることができたと思います。独りではたぶん分からなかっただろうと思います。最初は変なおじいちゃんとしか見てなかったです。そういえば、高崎隆治先生の研究の価値も、伊藤貴雄先生に教えてもらって、少し分かるようになったと思います。牧口先生の思想と行動の価値や意味も、価値が分かっている斎藤先生や伊藤先生の論文に教えてもらうことではじめて分かるようになったと思う。
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