「小学から大学まで真正に知識しているもの、はたして幾何ぞ。知育に何らの縁もなく、価値もなき、他人の構成した知識すなわち虚妄な概念を、ノートしているのみではないか。鸚鵡に言語を教えたと何の差があろう。知育に基がない徳育はありうるか。
古来今来、『愚を賢化』する以外に、何らの方法も講じ得ないではないか。それで、徳育の実がどこにあるか。知育以外の徳育があるならば、ねがわくば見せてもらいたい。
将来の教育は、知育の蔑視や軽減ではなくて、あくまで知育の増進にある。その徹底的改善にあり。徳育が知育の基礎の上に建たねばならぬことは、あたかも、知育が体育の基礎の上に立たねばならぬと同様である。徳育は、知育の基礎の上に、美育・利育と並行して、価値創造の作用として施されなければならぬ。」『創価教育学体系』18項