読書 論文の書き方 ③

論文の書き方 (岩波新書)

論文の書き方 (岩波新書)

最後に引用をしながら本を振りかえる。
やはり今自分の関わりがあまりない本の意味は心に入ってこない。
その意味でこの本は素晴らしかったです。




「要するに、文章の修業は、書物という相手のある短文から始めた方がよい、というのが私の考えである。自由な感想ではなく、書物という相手があるということ、それから、自由な長さではなく、五枚とか、十枚とかいう程度の短文であるということ、この二つが大切である。」9項


参考になる。小学生が相手でも変わらないと思う。5枚、十枚は小学生には長文なのでもっと字数を制限することになると思う。リーディング・ワークショップではブックレビュー、レターエッセイ、あとクリストバニが使っている本を読んでいる時に浮かぶ考えを書くワークシートやその代わりに付箋に書くといったことが基本になると思う。書かない時間は基本的にないほうがいいと思います。




「すべての論文は証明である」72項
リサーチクエスチョンがあってたしかにそうだ。



「しかし、今は、これらの問題に立ち入るよりは、外国語の文章という数式を解く努力を重ねているうちに、私自身、数式を組み立てるようなつもりで日本語の文章を書くことになってしまったという事実が大切である。」83項



「日本でも、日本語を『国語』として自明のもののように取扱わず、『日本語』として客観化し意識化するのが本当だと思う。そして、そういう名称の問題と一緒に、日本文の文法的分析が子供の頃から行われる必要がある。なお、この友人の話によると、フランスでは、幾何学は数学の一部門としてではなく、論理的思惟方法の訓練という狙いで教えられているという。
 ヘーゲルは或る個所でこう書いている。『子供に文法を教えるということには、無意識のうちに思惟の諸規定に注意させる効果もある。」私たちは、フランスの教育の法方に学ぶ必要がある」92項


今の小学校にも少し文法事項が学習内容としてある。小学校二年生でKWLチャートLの新しく学んだことでさえ、主語がなければ不明瞭な文になってしまいます。誰に読んでもこの説明文でこのことを新しく学んだのかと伝わる文を書かせたい。



「もともと、この抽象性が言葉というものの本質なのであって、――この抽象性のゆえに逆に、言葉は、絵に描けないもの、形のないようものを表現することが出来るという点に強みを持っている。」99項


「しかし、やはり、作文でよいのだと思う。文章は自然に生まれて来るものではなくて、人間が意識的に作るものである。文章は、人間が作らねば、存在することは出来ない。文章は『つくりもの』でよいし、『つくりもの』でなければいけない。この部屋が自分で文章を書くのではない。私の気持が文章を書くのではない。文章は、これらのものの外にある精神が特有の道具と方法とによって作り出すものである。その限りでは、小説ばかりが創作なのではなく、論文も創作である。」105項



「一語は、文章を組み立てる石や煉瓦である。しかし、同時に、人間の手で構成される現実を組み立てる石や煉瓦である。文章は一つの建築物である。だが、私たちが文章という建築物を作り上げて行くのは、取りも直さず、現実という建築物を作り上げて行くことである。文章が書かれる前に存在する現実は、むしろ、人間が有意味な現実を作るのに用いる素材に過ぎない」113項   

この建築物の比喩は筑波大付属小のにへい先生の説明文の比喩と似ている。




「会話においては、話し言葉が沢山の協力者に取り囲まれ、むしろ、これと融け合って働いているのであるが、文章においては、書き言葉が、孤立無援、ひとりで何も彼も行わねばならぬ。会話なら、相手が頷いてくれれば、世話の焼ける証明の手続きを省いて、そのまま次へ進むことが出来るけれども、文章では、さまざまの考え方を持つ不定限の相手に向かって、事柄を一々言葉によって証明して行かねばならぬ。」128項



書き言葉は一発勝負なところがある。
いつでも質問に答えてくれる作者がいるわけではないから。
だから書き言葉は基本的にはそれだけで伝わるように書かないといけない。x