人は、
科学的にわかることと、
宗教的信念が対立した時に、
矛盾しないように信念に関わることをおそらく自然に修正するのだと思う。


好き勝手に空想するのではなくて、
科学的な知識(それは本で読んだことや自らの経験から構成した知識も含む)を足場に現代人は現代人で自らの信仰を築いていくことが大切だとふと思いました。


理は信を求め。信は理を生む。たしかにその通り。
科学史一神教から生まれた。この世界は神様のメッセージであるとのこと。
だから歴史に名を残した科学者たちは
根気強く厳密にこの世界を探究することができた、信じることによって。



不可知なことはどこまでも不可知だけど(だから無記と仏陀が表した。カントも同じような問題を『純粋理性批判』で扱っていた。不可知なことで争うのは愚かなのだ。どうやっても証明できないのだから。それでも)
科学を足場にしないと、宗教的信念はたんなる空想になっちゃう。
科学で分からないことは分からない。不可知でも考えてしまう人間がいて、それでもそれを人間が力にできることは歴史から考えても本当のことだと思う。