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本当の意味で知育が偏重だったことは一度もないと自分の国を思います。
教育にかけるコストの少なさと読書の扱いがまだまだ軽いなど課題がたくさんあるから。地域レベルではあったかもしれない。適塾など。


それでも減少傾向にあるのはいいことだと思うけれど、
もっと前に進めると思う。


今のコストの少なさで日本は高いレベルの結果を出しているのはすごいことだと思う(教育のファクターは家庭、学校、塾など)。いろいろなところを合理化して(子どもにとっても教師にとっても環境改善がたいせつだと思う)、かけるべきコストをかければもっと前に進めるはず(ただ労働時間や授業数や仕事を増やすということではない)。いろいろな不幸を予防して防げる。


ラッセルや牧口常三郎が言うとおり大事なのは知育だと思う(体育も大事)。
まともな知性の人は
しかたなくLOSE-LOSEの関係になってしまうことはあっても、
自分からLOSE-LOSEの関係になるようなことしない。WIN-WINの関係になるように考えて行動するのが自然だと思う。それにWIN―LOSEは長く続かない。必ず反動がある。WINーLOSEはLOSE-LOSEへの道。
だから大事なのは道徳教育の充実ではないと思う。道徳でどうにかなる問題ではないと思う。身につけるべき態度はあると思うけれど、知っていればよく考えれば避けられる不幸がたくさんある(今でも無知と思考停止で愚かなことになってしまう、それはなくならないかもしれないけれど、前に進めば少なくはなると思う)。相手の苦しみをイメージする想像力も知性の問題。そこから自律があるし、自律がはじまる。WIN-WINの関係を創りだす創造力も知性の問題。



たんなる詰め込み教育は知育の偏重ではない(問答無用に覚えるべき知識はあると思うけれど、それにたんなる詰め込み教育ばかりなんて今はもうないか、昔もなかったかもしれないけれど。でも自分が受けた歴史教育は薄い知識の詰め込みだった…。)。それはコンセプトベースの学習や学び方を身につける読書教育、リーディングワークショップ、ライティングワークショップ、作文教育などと対極にある知育偏軽教育でしかないと思う。