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因果応報は、葬式仏教とかした、江戸時代のすべての宗派に使われた差別の論理です。


士農工商の身分差別を固定化するために、「因果応報論」は説かれました。
つまり、今貧乏なのは、過去世にワルいことをした自己責任だ。
今、身分が低いのは過去世の宿業だ、悪の報いだというわけです。


もともとは、日本浄土宗の開祖の一人源信が、往生要集で使った言葉です。
念仏系ではよく使う言葉です。


京都石清水八幡宮の(神仏混交)住職、大我という人の「三彜訓」(儒教神道も仏教もみな同じこと、因果応報を説いているという書物)に、
「「一たび仏法を聞きて因果を信ずる者は、深淵に臨みて薄氷を踏むがごとく、戦戦兢兢(=戦々恐々)として敢えて心を放(ほしいまま)にせず。……万民(悪業の)来報を恐れて、君を戴くこと日月の如くす」とあります。


つまり、因果応報を信じる人はいつもびくびくして、天皇のように身分の高い人間を日月のように、尊敬するというわけです。


日蓮大聖人のころには、世間一般の常識となってて、
それで、日蓮が旃陀羅が子と生まれたのは、過去に悪いことをしたからだとか、日蓮が貧しいのは過去に悪いことをしたからだ、
とか、例の佐渡御書の前半部のような話が出てくるのです。


ちなみにここに出てくる般泥洹経は、中国でつくられた偽書です。

そして、大聖人はそれを受けて、
私は確かに、貧乏だし着るもの食べものにも事欠く。
しかし、過去に悪いことはしていない(第一段)。


きっと、『法華経』を誹謗したのかもしれない(第二段)。


でもまてよ、『法華経』には、「法華経の行者」は難にあうと書いてある。
そうか、つまり、私は過去世に悪いことをしたから難にあうのではなく、今、法華経と弘めているという正しいことをしているから、難に合うのだ(第三段)、と来るわけです。


ちなみに、ゴータマ・ブッダのころ、バラモン教が因果論を説き、
過去世の宿命により低いカーストとして生まれると、差別思想を押し付けます。


そこで、ゴータマ・ブッダは、「私も業(行為、カルマ)論者である」と受けて、
今、畑を耕す人間は農夫と言われる。
したがって、今、正しいことをしている人間は、正しき人であると言われると、反論するわけです。


今、正しいことをしたら、将来幸せになる因を積むというのは、
因果異時ですね。
今、正しいことをしているから、今正しい人である。
という考えこそ、因果具時です。


詳しくは、第三文明から、私が出版した
ブッダは歩む ブッダは語る』(雑誌第三文明の連載を本にしたもの)の、最終段に、書いております。

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善悪って、そんな単純じゃないですよね。
ジャン・バルジャンがパンを盗んだのは、偸盗の悪業なのか。


最前線で、人を殺した兵隊には、殺生の罪があり、


それを、ふかふかの豪勢なイスで、
「我が国は、五月までには、満州国のここまで陸軍を進軍させます」
と、計画を練った人には、殺生の罪はないのか。


世阿弥の「宿業三部作」、
「善知鳥」「阿漕」「鵜飼」が、
まさに、その問題を扱ってますよね。


当時の仏教の考え方では、
鳥を獲ったり魚を獲ったりする漁師は、殺生の罪となり、


きれいに料理されたそれを、宮中で食べる天皇たちには、
なんの罪もない。


はたして、それでいいのか、
というのが、
世阿弥の「宿業三部作」のテーマですよね。


そして、世阿弥が、殺生の罪で、地獄に落ちたとされる漁師のところで、
漁師とともに涙する存在として描いたのが、


安房の国小湊生れの僧侶」だったことが、


すべてを象徴していると思います。

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愛する人の一人の記事です。
日蓮はスッタニパータに帰っているということをあらためて思いました。
本来の仏陀の思想に帰っている。

因果論を打ち破る仏陀日蓮
バラモンの差別的な思想を言論で打ち破る仏陀。あの鋭さ。


味わい深い。生まれてすぐにというか母のお腹の中にいるときから、日蓮の価値創造である「南無妙法蓮華経」を聴いて今に至るけれども、古典というかなんというか本物の思想や作品の解釈は一生かけて深まっていくものなんだと思いました。


仏陀日蓮の思想の理解を深めるのは心に生まれる無上の宝だと思う。こんなことをあるなんてあまりに奇跡的だけど現実でなんともいえない気持ちになる。


無慈悲な自分の乗り越えていかなきゃって思いました。

過去はもうない。未来はまだない。あるのは今だけだ。問題は「今」の自分の心です。その心の軌道。仏界は軌道という話を思い出します。


日蓮を学んできてよかった。


全体の関係性から考えないと解釈は誤ってしまう。