オリジナル原稿用紙をはじめて作りました。A4裏表。
それは裏までやると高学年の原稿用紙よりも多く文字を書けるようになっています。やらせてみていい感じです。ポートフォリオの仕組みの改善できました。1,2学期よりも自分の学習を振り返りし易いように改善できました。


反省点としてまったくやっていなかったわけではないけれど
ノートチェックが雑すぎました。
今ほぼ毎回算数のノートを集めて評価しています。
見られるという意識があるだけどパフォーマンスはよくなります。他にもやらなければいけないことあって大変だけどがんばります。



やはり記録しておこう。

前に
ある職場で上の人に指導されて何度も修正したものが、
さらに上の人にはその指導を覆されるような指導されて
何度も修正させられたということがありました。
凄い忙しい時期で本当にこのうんざりしたことを思い出す出来事が先週にありました。



ある仕事をあとで大きく修正するようなことを避けたいから、
ある上の人に相談して、その人の言っていることをよく理解するように努めて、その仕事の準備をしてきたのに、それを違う上の人に覆されてしまった。どれだけ細案などの計画などに時間をかけているか。冬休みなどにも来て準備してきました。


一番きついのはそのような上の人のブレに振り回されるその仕事の長だと思います。他にも先週はいろいろあって、疲れたということを言われていました。そりゃああれだけいろいろやってがんばっていれば疲れるだろうと思います。がんばりすぎで働きすぎで、振り回されて疲れてしまうだろうと思います。


もうしょうがないけれど、正直もともとあまりないやる気がさらになくなってしまいます。ポジティブに考えれば僕はいろいろ勉強になっていいのかもしれないけれど、こういうのってどうなのかなあって思います。



お金による幸福度に似ていると思う。
他の職場の先生も言っていたけれど組織の研究のせいで、
他の使うべき時間がとられてしまう。


お金は最初の増えていくうちは人の幸福度をどんどん高めていきますが、ある一定のお金持ちになるとそれほど幸福度を高めなくなってくるらしい。お金持ちが=幸せとは限らないわけです。


授業も似ていると思っていて、
ある程度の時間をかけると授業はかなりよくなっていくと思います。
でもある時間をかけたところが凄く細部の問題になってきて、それほど効果を期待できなくなるところがあると思う。時間をかければかけるほどいい授業ができるとは限らない。


組織の研究も仕事ですが、他の研究以外にも仕事があります。
他の仕事にもう少し時間がかければよりよくなる幅を犠牲にして
研究にコストをかけるわけです。それがすごく嫌です。


うけきっていくしかないないんだろうとも思いますが…、


すべての仕事を100パーセント完璧にするというのは無理があると思う。どこに力を入れるかだと僕は思います。


トレードオフだから組織の研究に5時間かければ、そのほかのことに5時間かける時間がなくなってしまいます。24時間しか一日ないんだから、そればかりやっているわけないはいかないです。


また休日はこのブレのための仕事をしなければなりません。



経営もいろいろあって、
ボトムアップが強い研究などの仕事や経営もあります。


トップダウンでやるなら
その考えを理解して実現するように努めるので、ちゃんと引っ張ってほしい。
それが下で働く人の気持ちなのかなって、一人思います。




極端な話、
やたらと一つの授業の細部に時間をかけるよりも、
その分フォローすることを前提にしたほうが仕事が減るかもしれないです。


落ちこぼれというかどうしてもその授業でやれない子が出てくることを前提で(でてこない工夫するのも前提で)、全体の仕組みをいじることのほうが先だと思う。



どうしても時間外になるような仕事をしなきゃいけないのだろうという気持ちもある。どうしても時間外になる仕事で準備してきて、覆されるわけだから。


時間外に仕事をすること自体は僕はあまり気にならなくてブラック社員な気質なのかもしれないけれど、でもそれは納得いくプロセスの上でだと思う。



事前の授業をしならが、
ミスがあって自分が授業下手なのもあるけれど(痛感)、

準備に時間がかかる割りに授業しながら
申し訳ないけれどつまらない授業をしているなあと客観的に思ってしまいました。同じ学年の先生みたいに授業が上手いと違ってくるとは思うけれど…。


計画が悪いとはまったく思わないし、むしろ細部まで書いてあるものだけど、時間を書ける割りにな…と思ってしまいました。もうヤダって心の声も聞こえてくるけれど、勉強にはなっているからいいかという気持ちにもなります。



やはりトレードオフだからだ。
犠牲のない選択なんてない。
時間をかけるということは、他のことを犠牲にすること。
その均衡があって、バランスがあって、
納得したものになってないから腑に落ちないのかもしれない。そういうことか。
でも組織的なことは受けきっていくしかないし、自分にどうすることもできないから、割り切って勉強だと思ってやるしかないか。今回の修正もまた勉強。



講師の先生だけに聞くべきだったのかもしれない。
その先生が言われることがあってもあえて違う提案をするというのが前の先生のお話だったので、それをきちんと言うべきだったかもしれない。でもそれを言うパワーも元気もなかったかな、自分。振り返ると無理かと思ったけれどできたかもしれない。講師の先生のお話の上であえて違う提案をすることになっていたのだから、決してその講師の先生は否定しているわけではないから。でもそのように頭が回らなかった。講師の先生が変わって、もうその先生に合わせるしかないかという諦念の気持ちが強かった。でもこの問題に限らず、そういう心構えはよくないかもしれない。これ以上の内省はもうやめよう。



書いてよかった。内省。
起きていることを理解が深まって、
避けられないことでも受けて他のこととバランスをとりながらもやるしかない。
子どもと同じでいやいややるのは不幸だから、こどもたちのためだと思って、また自分の勉強だと思って心をこめて残り2週間その仕事をがんばります。