法華経だから正しいというわけではない。
法華経の中には実は差別的な表現があると前に学びました。
難しいところ。表面的に読むだけでは法華経の真意は理解できません。


これを宇宙生命、自分自身の大生命、南無妙法蓮華経の説明書、たとえ、比喩として読んだ日蓮大聖人の読み方って本当に革命的に凄いと思う。文底の読み方と呼ばれていたと思う。表現の底にある真意を読む。因果具時の太陽の思想。太陽が昇るときに因果異時の偽りの因果論が星のように消え去る。常に「今」しか存在しないのだ。正しいことをしている人が常に正しい人。する論理。バラモンである(高貴であること)は生まれではないのです。階級でも立場でも性別でもないのです。金持ちかどうかでもないのです。国でもない。


十界互具だから人には修羅の命も餓鬼の命も自分の中にある。差別の矢も刺さっている。このことにまず自覚的になれるか。それが自律の鍵なような気がする。


また基礎から学びなおしたいです。



「心を何に喩えよう」