南京事件を学んでいる場合ではなかったのかもしれない。
仕事に本作りなど。
でもあまりに浅学で無知な自分を考えて少し悲しくもなる。


小学生から本をもっと読めたらやはりもう少しマシになれていたかもしれない。


大学時代は後悔なく学べたと思う。
取り戻すように学んだと思う。でもけっこう遅かったとも思う。
遅くなかったとも考えられる。遅いとか早いというのは相対的な概念だから。何に対して遅いと考えるのか。やはり遅い。もっと前から同じレベルの勉強ができたと思うし、もっと前に進めたと思う。


大事なの実証的な態度。証拠を提示して論じられないということは、そのレベルの深まりだったということです。もっと歴史を学ぶ時間がほしい。だから学生時代は貴重なんだ。高校生の時に貴重な時間を何でこんなことに使わないといけないのかと思っていたけれど、今もより強くそのことを思う。今の高等教育などは実証的な態度や探究など実践的な学習内容になっているのだろうか。教科書レベル、司馬遼太郎歴史小説レベルで終わってしまったらあまりにも悲しい。参考文献や一次資料を提示しながら論じるということができなけばと思う。参考文献も資料もなしに歴史の問題に対して論じてどうすんのって思う。そんなもの学術の世界でも世間一般でも通用しない。他の学問にも繫がらないし、あるべき市民の姿にも繫がらない。心の底から下らない。ただ証拠もない知識を問うだけ、証拠もなく論じるだけ。テストを考えればもう可笑しいと思うよ。


少しはやめに職場へ行こう。少し印刷するものが少なくともある、今日のために。