資料問題があったことを思い出したけれど、
もっと資料問題が重視されてよかったと思う。
自分の時は証拠なしにただ教科書の知識を問う問題がほとんどでした。


結局ラッセルが言うように、学校の目的に一つとして市民として証拠主義の態度を養うということが教育の哲学としてビジョンとして大人(教師側の人)に明確にあるかが大事なんだと思う。ある人が資料を教材として扱えばそのことが伝わって、それに応じたプロセスとパフォーマンス(テスト)を求めるのだと思う。

与えられた資料(資料集)だけで終わってしまうことにも問題があると思う。
結局主体的に資料を批判したり、資料を求めたりする場面がないから実践的な力が育たないのかもしれない。


投票率は教育の結果だと言えるかもしれないと考えていた人をネットに見かけたのですが、自分と同じ考えだと思いました。分かり易い結果だと思う。それまでのプロセス(教育など)に問題があることが分かる。子どもがどうこうというよりも現実の大人の姿(課題)から教育を考えたほうが合理的かもしれないです。投票率からわかるのは大きな課題が教育にあるということ。