このメンバーだったからこそいい学びがあるかもしれないというのは、ワークショップの限界かもしれない。何度か考えたことだけど、またそのことについて考えた。
しかしワークショップ的な学習ではない場合は、
教える人のレベルと、教える人と教えられる人の関係に依存することになる。


ワークショップ的な学習は
教える人のレベルに相対的に依存しないという点で優れているかもしれないと思った。



「学校教育の場合特に次の点が確保されていなければならない。すなわち教師の力がほんのわずかしかないと推定されるときにも、彼はそのために害を受けないのみならず、かえって目的にかなった進歩がなされなければならない
(この点は重要だ。教授法を行う個人の技能がすぐれているためというより、その方法の様式の本性そのもののために成果が挙がるというような、そのような方法が用いられ、すくなくとも初級の知識の修了までは、教師をそのような方法の単に機会的な道具にするような教授方式が発見されない限り、民衆教育を広く一歩前進させるなどということはとうてい考えられないと私は信じる。 」46項 『ペスタロッチ全集8巻』平凡社