読書 国家 第一巻

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)


今読んでみると味わい深くてとても面白いです。見たこともない高度な漫才みたいで、ソクラテスのつっこみに笑いました。


いくつか印象的なところ



「友を益し敵を害するのが正しい」ことだと正義(正しさ)について考えを述べた人がいて、その時の
対話の中で「人を害するということは、けっして正しいことではないのだから」と明らかになったところ。
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もしシモニデスなり、ビアスなり、ピッタコスなり、あるいはその他のいやしくも知者として祝福されている人たちの誰かがそんなことを言ったなどと、主張する者がもしいたら、ぼくと君とは力を合わせて、その者と戦わなければなるまいね
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ソクラテスの弁明』でもソクラテスについて知ることができるけれど、ソクラテスは最後まで変わらずにこういうセリフで言われているような生き方した人だと思いました。


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そこで「やり方だが」とぼくは言った、「われわれのほうでも彼と張り合って、弁論に弁論を対立させ、こんどは正義がどれだけ利点をもっているかを数え上げ、そのうえで彼がもう一度それに応酬し、さらにわれわれが別の弁論でそれに答える、というやり方も可能だろう。ただその場合は、両方の側がそれぞれの弁論で述べたてた利点を勘定し比較考量することが必要になってきて、そうなるとまた、あいだに立って判定をくだす裁判官たちが必要になるだろう。けれでも、ちょうどさっきしていたように、お互いに相手の言うことに同意を与え合いながら考察をすすめるようにすれば、われわれは自分たちだけで、裁判官と弁論人を同時に兼ねることができるだろう」
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これがディベートなどの議論と対話の違いなのかな。対話といえばデヴィッド・ボームの本を思い出します。このやり方は『ソクラテスの弁明』でも変わらなかったと思う、たしか。


第一巻の最後
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 こうして、討論の結果ぼくがいま得たものはと言えば、何も知っていないということだけだ。それもそのはず〈正義〉それ自体がそもそも何であるかがわかっていなければ、それが徳の一種であるかないかとか、それをもっている人が幸福であるかないかといったことは、とうていわかりっこないだろうからね
=================================================p110


思考実験。全体を通してエジソンと少し似ているとも思いました。エジソンは電球を発明するプロセスでたくさんの失敗をしました。電球を作るのに適している物質を探すプロセスで、たくさん適さない物質が明らかになる。対話の中で「友を益し敵を害するのが正しい」といった説を否定する、その説は正義(正しさ)ではないと明らかになる、その否定(失敗の)や肯定(同意)を積み重ねた先に成功や明らかになることがあるのかもしれない。第二巻からも楽しみです。