開目抄

Tさん

つまり、諸天の加護などを捨て、人を救う誓願に経つ偉大な人間であることの宣言という意味では、人本尊開顕ですけどね。

宗門的意味では、人間離れした神様みたいな存在という意味で、「人本尊開顕」となります。

似て非なるもの、あなたは、どっちを考えてましたか、ということです。

仏というのは、目覚めた人であるというのが、仏教の基本だから。

つまりね。

本当のキリスト教の信仰というのは、

神の横に座るべきなのに、
不義の子として、差別された職業である石工の家に生まれ、
若いときの行動の記録すらなく、
そして、神への冒涜ではなく、小盗人とともに死刑になった人を、

救い主と呼ぼう、という信仰なわけですよね。
これが、基本でしょう。

僕らの信仰はね、
旃陀羅が子として生まれ、私度僧として扱われ、
犯罪者として2度流罪され、
門下も少なく死んでいった人を、

本仏と呼ぼう、という信仰なんですよ。

後学ために。
御書のテキストにまたしっかり向き合いたい。文脈から自分の頭で考えて読みたい。
当時の人を、当時の人の書いたもの、言ったことを少しでも正確に理解しようと思ったら、時代背景もやはり欠かせないか。でもある程度はその時代背景も知っているから、ふつうにテキストに向き合いたいかもしれない。今日は開目抄を読んで寝よう。


今久しぶりに御書の『開目抄』を開いてみたら、
誓願を貫く人間のすごさをあらわした御書」と鉛筆で書いてある。
いつ書いたのかまったく思い出せない。