試験

一番はじめの教員試験が一番いい結果で補欠合格まで行ったけれど、その時のことを思い出した。
免許をとっている年で、また担任の経験はなく時給時代。

教職教養の問題でルソーの著作を四択で答える問題があって、下らねえって思いました。こんなこといつまで求めるのよって思った。こういう気持ちって時間が過ぎると忘れてしまう。記憶を奥にしまわれてしまう。


ゴールって大事だと思う。大学受験、高校受験など。

学校の先生やるのに、ルソーが何を書いてあるか本を名前を正答できるってことが役に立つのかね。そういうレベルの問題ばかりだと、試験対策は、中身を一行も読んだことがないのに、誰が何を書いたのかといったレベルの知識ばかり覚えようとするんじゃない?このレベルのゴールってどれだけ意味あるのだろうか。


別に塾は悪くない。需要に答えて、そういう試験に合格するためにもっとも効率的な授業を求める塾が出てきても自然なことだと思う。


そんな試験とそんな授業がいっぱいあったのではないかなと思う。
でも自分がその時期を逃れると、その時の酷い気持ちは、忘れてしまう。


試験や授業について思ったことを書いておこう。


僕の曖昧な記憶、
ルソーの問題は間違いなくあったと思うけれど。


でも教員経験をしてからの採用試験は論文(+指導案)、2次試験は面接だったので、勝つ(合格)には自分にいろいろ問題があるのだと思う…。美しく書けるという見た目の問題も大事なんだろうけれど、そのためにあまり努力できてないのは間違いないく傲慢と怠慢が自分にあると思う。六度法を意識するなどまったく努力していないわけでないけれど、いつも近くの人の答案が少しは視界に映ってしまうのですが、僕の答案とは見た目の美しさが違って、勝てる気がしないとよく思う。もともと字が上手いのもあるし(丁寧さの鍛え方が僕とは違う)、それにいっぱい練習したんだろうな。



書道を小さい時にやらされて、まったくやる気がなく身に付かなかったけれど、しっかりやっていれば違ったのかもしれない、いろいろ。何が将来に繋がるかわからない。