集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

これも読んでいて、今優先的に読んでいます。
この問題に対する認識がさらに深まってきました。細部まで理解できてきた。




2014年7月;7・1閣議決定
自分たちで決めたことでさえ安倍首相は理解できていないことが、首相の発言から分かります…。








集団的自衛権の限定行使容認、「憲法第9条」に違反せず | nippon.com

「抑止力の向上」が一番の狙い
北側 今までは、わが国への直接武力攻撃に対する攻撃排除は許されるとしてきた。しかし、軍事技術はこの20年で極めて高度化した。安全保障環境が全く変化している中で、わが国に武力攻撃があったときしか自衛の措置は取れないのかということが問題になった。
客観性を担保する必要があるが、われわれが言ったのは、「密接な他国」に対する武力攻撃があり、これによって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときはどうするのか、ということ。
 
典型例は、まさしく日本防衛のために警戒監視活動をやっている米軍に対して第一撃が日本近海の公海上であったとき、「個別的自衛権か、集団的自衛権か」と論議しているわけにはいかない。国際法上は集団的自衛権と見られる可能性が高い。そういう場合も、きちんと対処できるようにしていく必要があるということで、新3要件の下で限定的な集団的自衛権の行使を容認するとした。
ただし、そもそも武力攻撃事態や存立危機事態のような有事を起こしてはならない。そのためにも、平時からグレーゾーン、近隣有事、そしてわが国有事まで「切れ目のない法制」をつくっておく。
そのことによって、自衛隊と米軍との間で、さまざまな想定を前提とした共同訓練、連携ができるようになる。ここにもっとも重要な意味がある。日頃から日米間で訓練をやっておけば、抑止力になる。抑止力は紛争を未然に防止する。「抑止力向上」が、今回の法制の一番の狙いだ。

これは北側さんの話。


何でこんなもめているかという理由がさらに分かってきた。

政府の人たちが自分たちで決めた範囲のことを超えてできると主張している。日本の領域外での他国への攻撃についての軍事行動だから、明確に集団的自衛権であり違憲です。


今の自分の理解。

まず集団的自衛権違憲です。

個別的自衛権は、憲法9条と13条等を両立する発想として生まれたもの。13条は、国内の安全確保、主権維持をいっているので、個別的自衛権は、解釈によって、じゅうぶん担保される受け取りかたである。ところが、憲法には、国際法尊重や、国際協調を宣言する文言こそあるものの、外国防衛を規定すると解釈されることばは見あたらない。外国の防衛を援助する行為は、行政にも、外交協力にも含まれない「軍事」活動にあたるため、それを実施すれば、73条の解釈からも逸脱。越権行為とみなされる。集団的自衛権は、違憲である。

知人の方のこの説明が分かりやすいです。73条のことも木村草太さんの本を読んで分かりました。日本国憲法73条は内閣の仕事を列挙したものです。ここに軍事権が見当たらないということです。ここから軍事活動をしないことが憲法の前提になっていることが分かります。個別的自衛権に関しては、自国の消防活動や警察活動の延長にあって行政権の一種であると考えることができるそうです。



閣議決定まで合憲。
存立危機というのは明確で自国を武力攻撃された場合のことです。領域というのが大事で、自国の領域と領域外は明確に違います。自国領域外で起きた他国へ対する武力攻撃に対して自衛隊を戦力として動かすのは、明確に集団的自衛権の範囲のことです。集団的自衛権違憲です。


分かりづらいの国内を直接攻撃された場合でも、外国が攻撃される場合があるということです。具体的にはアメリカの米軍基地が攻撃された場合です。これは個別的自衛権で対処できますが、集団的自衛権とも言えるわけです。限定的な集団的自衛権の行使というのは、此の場合までだというのが、閣議決定に対する内閣法制局長官の説明でした。


法律の世界の話で「解釈」と「あてはめ」というものがあります。集団的自衛権を歴代の政府は違憲としてきたのですが、これをOKとすることは解釈を変えることです。しかし今回は解釈を変えるのではなく、「あてはめ」の問題だというわけです。つまりこれまでの解釈通り、個別的自衛権の行使に関しては認められてきたわけで、そのあてはめとして、閣議決定では、国内の米軍基地が攻撃された場合の自衛権の使用について確認しただけだということ。


しかし政府はここで決めた内容を逸脱して、自国の領域外についても自衛権を使えると主張するわけです。これは集団的自衛権の行使であり、違憲ということになります。


ここで言えることは自分たちで決めたことをまず守れということです。
内閣法制局長官の説明を尊重しないといけないのですが、政府はその説明を逸脱して無視している。
新しい内閣法制局長官が、こんなことできんの?と、シロウトから思えるような法学的な説明をしているのに、他の与党の人たちがそれから逸脱する、解釈改憲に繋がることを発言してしまっている。



かりに北側さんがいう抑止力に一理あったとしても、その主張は違憲だから、憲法改正の手続きの後に実現してくださいとしかやはり言えないかな。


国家を縛るための憲法なので、政府の人である北側さんのような発言、他の政府の政治家のように憲法学者の仕事を神学論争だと馬鹿にするような態度はとても問題があると思います。


僕は何でもナチスになぞらえるというのはイヤなんですが、やはりどうしても気になってしまう。今回は内閣が「解釈改憲」という形でルールを勝手に決めた。勝手に変えたわけですよね。ナチスの経験から得られる重要な教訓というのは、行政が立法できるようになることほど恐ろしいことはない。つまり行政自身がルールを決められるようになることほど恐ろしいことはないということなんです。

國分功一郎


解釈改憲ってこういうこと。細かくは違うけれど、ワイマール憲法制定した後のドイツと本質的には同じことをしている。



読んだ思ったのは、専門家の分かりやすい説明がないと、今安保法制の問題で起きていることの細かいところはよくわらかないと思った。でもそれを国民にもう少しきちんと説明するのがマスコミと政治家の仕事だと思う。


政府は内部で食い違っている(めちゃくちゃでしょ)。だから分かりづらい。

しかも国際法や抑止力やら現状どうとかの話も絡めてくるわけだから…。国際法憲法は体系がそれぞれ違うから、それぞれで何を認めるか違うことはよくあることで、何らおかしなことではありません。違憲だという指摘に対して、関係ない要素を持ち出すのはやめてほしい。違憲かどうか、どう改憲して、どのような立法するかそれぞれ全然違う問題です。


砂川裁判のこと(これ全然自衛権と関係ない判決の裁判です)、「グレーゾーン」だとか複雑に分かりにくくして、有権者を煙に撒こうとしているようにも思える。


はっきり分かるのは政府自身の説明が不十分であるだけでなく、自分たちで今回の提案や問題について、わかりづらくしているということです。



やはり基本知識が大事だと思った。たぶんここ数年のこの問題の歴史と法学の基本の理解がこの問題の細かい理解に必要だと思う。基本知識やこういう専門家の説明なく、マスコミとか、政治家とかの話や書いたものだけ読んでいると騙されるか、混乱するだけかもしれない。その中に正確な情報が含まれているのだろうけれど、それを判断するには基本の知識と理解が必要。そんなこともよく分かりました。