安保法案

1972年の自衛権に関する政府見解の「そうだとすれば」の前の部分のあてはめから、結論部分が変わった。


これまで自国への直接攻撃ではなくて、他国への攻撃に対して武力行使することを集団的自衛権の行使としてきた。その例外として、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があることから、武力行使ができるようにした。



日本の領域外は日本の主権が及ばない。その範囲の攻撃に対して、自衛権を考えるというのだから、かなり大きく変わったと言えると思う。


公明党の議員たちが1972年の政府解釈との整合性がつけようと苦心したことは理解できました。
しかし論理的整合性はあっても、
この政府解釈の
結論部分が変わっているのに、
これで憲法解釈は変えていないと強弁するのは無理があると思う。



この論理的整合性からはTさんのお話を思い出す。


Tさん

二つの考えがあったとしたら、おそらく、二つとも正しい。
正解などは、ない。
ただ、それぞれの考えを、絶え間なく深めているか、浅いところで留まっているかの、違いがある。
だから、違いは、二つの考えの間であるのではなく、
それぞれの考えのなかにある。


論理的整合性があるということでは正しいのだろう。
ただ
結論部分が変わっているのに、
憲法解釈を変えていないという公明党の議員の主張に偽りや不誠実を感じます。


この新しい解釈、公明党の優秀な弁護士や平和学博士の政治家たちが苦心して生み出したのかもしれない。


憲法のテキストまで遡ると、
「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と憲法13条にある。

これを根拠に個別的自衛権は認められると考えられてきたわけですが、さらにこのあてはめの問題として、限定的な集団的自衛権の行使を認めようという話になっている。


「そうだとすれば」の前の部分はこの憲法13条のことを言っていると思う。

これは新しい解釈だと言えると思う。解釈改憲と言われても仕方ないと思う。


結局、集団的自衛権の行使は違憲だとされてきたけれど、この憲法13条や1972年の政府解釈の「そうだとずれば」の前のあてはめの解釈から、限定的な集団的自衛権の行使を容認しよう、行使できる範囲を広げようという方向に舵をきっているということが分かった。


この1972年の政府解釈から大きく結論が変わっているのに、変わっていないと強弁していることにとてもインチキと違和感を感じていたけれど、その原因の認識がより正確になってきました。