そろっている

ここ数年、特に最近そろっていることの大切さが身にしみてわかってきた。


アクティブ・ラーニングと個別化の推進が打ち出されている中だから、逆説的で皮肉なことだ。



よくよく考えてみると、個別化をかなり突き詰めたイエナプラン教育に中にも、全員に同じように求められるそろっていることがある。それがどれだけ大事か。


さらに極限まで個別化を突き詰めた自由な教育の中にも、そろっていることがある。それがどれだけ大事か。



そんなことをなぜだか思いながら、4時前に起床しました。
自分の仕事を点検して、見直したい。



福山憲市さんの本も読み直したい。



しかし僕は教育の個別化も大事だと考えています。
たぶんのこの仕事の免許を取る前からだと思う。
自分が教育された記憶を振り返って、
世界にどんな教育があるのか振り返って、
これからの教育を考えた時に思ったことが、
自分の国の教育には個別化が少なすぎるということだった。



バランスの問題もあると思う。
ただ極端なのが好きでないのかも。
軍隊にみたいにそろっているのは居心地悪いですし、
何もそろっていることがないカオスなのも、不快です。


個別化を極限まで進めている教育の中にもそろっていることがあって、
それは求められる考え方であったりとか、繰り返される授業のパターンであったりとか、目に見えないこと、あと見えることもだけど、そろっていることがあって、たんなるカオスではない。個別化されていて、バラバラでもたんなるカオスではない。