日蓮

増補改訂・日蓮―その行動と思想

増補改訂・日蓮―その行動と思想

日蓮の生まれの問題。旃陀羅の子だったのか。


法華至上主義、確かにめっちゃ排他的だと言える。
ただその思想の中身が大事だと思う。

法華経にはどのような意味があり、
法華経を否定することには、どのような意味があるのか。


Tさん

正像末について
正法像法末法という区分も、日蓮大聖人教学では、じっくり考えねばならないことです。
釈尊が死んで1000年間は正法時代で、きちんとした教えが守られてきた。
次の1000年間が像法時代、経典とか仏塔が建てられて行く、形骸化した時代。
それ以降は、末法……。
へんな話しですよね。
プッ、プッ、プッ、プーン、ただいまより像法時代をお知らせします、とかいって、みんなが塔を建てだす。
そんな画一的な、漫画みたいなことが、歴史上あるはずはない。
この1000年、1000年、1000年は、もともと、インドでは考えられてない。
中国に入って、作られた考え方です。
第1、昔考えられていたゴータマ・ブッダの死んだ年代と、実際の、ゴータマ・ブッダの死んだ年代は、500〜600年の誤差があります。つまり、正確なゴータマ・ブッダの死んだ年代から考えると、日蓮が生きた時代は像法時代となってしまいます。
塔を建てんとあかん。
法華経』に「5の500歳とあるじゃないか」とかいう、単純な話が出てきそうですが、あれは、漢文経典でも「後五百歳」どう考えても、五百年後です。しかも、原典では、「死んだ後の時代に」です。
正法像法末法という時代区分には、つぎのような瑕疵があります。
(1)画一的に単純化された歴史観
(2)もともとの仏教にはなく、中国で考えられた
(3)ゴータマ・ブッダの死んだ時が違う
*その上、日蓮教学からいえば、日蓮末法衆生を救うとしたら、末法になって、すぐに出てこないと行けないのに、後冷泉天皇の、永承7年(当時、この年が釈尊の死後2000年と考えられてきた)に、何で日蓮はでてこないんだ!という、矛盾も出てきます。
しかし、平安末期、相次ぐ戦乱(といっても、それは、今まで大和朝廷に支配されていたアイヌの人たちの反乱などですから、全面的にマイナスとはいえませんが)、飢饉、天変地妖で、「今こそ、末法」という意識が広がっていきました。これは、とても、まっとうな意識です。認識における悲観主義ですからね。今を、きっちりと見つめているわけです。
人が死んでても、戦争が起こっても、また戦争へとつき進んでいても、\^o^/、おはようございます\^o^/。今日も、楽観主義で進みましょう\^o^/では、あきませんよね。
ここから、当時の坊さん達はどう考えたか。
それは、「法滅」ということです。つまり、釈尊の仏法は力を失ってしまった。釈尊自身が「正法像法末法」と、自分の教えの功力が失われていくといってるだろう、と。
(そんなこと、一言も、言ってない!って!)。
そして、平安時代に「諸経の王」ともてはやされた『法華経』バッシングが始まるわけです。
法華経』はどうバッシングされたか。
それは、「去年の暦(こぞのこよみ)」、つまり、去年のカレンダーで、使い物にならない。
それで、それぞれの宗派は、まったく新しい考え方で、末法を乗り切ろうとしたわけです。
ある宗派は、閻浮提(ジャンブドゥビーパ、樹木が繁茂する大陸、まあ、簡単に言えば、地球です)の釈尊はあかんけど、宇宙を支配する大日如来はまったく大丈夫。
ある宗派は、とりあえず、功力を失ってない阿弥陀仏にすがって、死後、極楽に行って、そこで、ゆったり修行したらええやん。
ある宗派は、服装の乱れは思想の乱れ、威儀正しく生きたら、解決する。
ある宗派は、私には関係ない、私は静な山のなかで、瞑想でリラックス。
共通するのは、『法華経』、釈尊が、「去年の暦」、もうあかんと考えたことなのです。
でも、日蓮の考え方は違った。
日蓮大聖人の教えを学んでる筈なのに、末法に入りぬれば、余経も『法華経』もせんなしや!去年の暦や!と、言ってる人がいますが、
それは、当時のみんなの考えていることを、日蓮が引用反復して、その後、僕の意見はちがうんだ!と言わんとしているのに、その日蓮が批判するために引用反復している、他の宗派の意見を、日蓮の意見としてしまっているという、トホホな考え方なんです。
正像末は、大聖人の考え方ではありません。
当時の坊さん達の意見です。
問題は、それを大聖人が、どのように脱構築したかです。
日蓮は、こう考えた。
法華経』の神力品で、人びとを救うために『法華経』を託された菩薩たちがいる。しかし、この人たちはまだ出てきていない。
つまり、『法華経』は、保存されたのです。タイムカプセルのように、菩薩たちによって。
この菩薩たちが、でてきていないとしたら、『法華経』もまだ出てきていない。
もちろん、それは、平安時代、経典そのものが功徳あるとかいって、偶像崇拝されたような、手あかのついた経典の『法華経』ではない。そんなのは、「去年の暦」どころか、去年も通用しない。
法華経』といっても、法華経の考え方、法華経が説いている、互具の考え方。
それに私は気づいた、まだ菩薩たちはでてこない、ならば、私が、先がけをするしかない。
ーーーこれが日蓮の考え方なんですよ。
法華経』はまだ、伝わってない。だから、古びるはずはない。ただし、それは、内容も読まれず、偶像崇拝される経典ではない。その内容思想なのである。
これが、日蓮の考え方です。

今読んでいる高木豊の本とリンクする大事な話。



日蓮の排他性をどう考えていったのらいいのだろうか。

浅きを去って深きに就くは丈夫の心なりということだろうか。


なぜ日蓮法華経思想が深いと言えるのか。その思想内容を振り返ると、
十界互具、二乗作仏、久遠実成、因果具時などをすぐに思い出す。


ここにある因果具時の思想は中国へ漢訳して伝わったブッダの直説だと言われる「スッタニパータ」と通じている部分があり、当時の他の思想と比べてオリジナルにとても近いと思う。日蓮だけの要素もあると思うというか、日蓮だけの要素のほうが多いかな。不思議なのは、その「スッタニパータ」の漢訳は日本に渡っていなくて、日本に当時なかっただろうから、日蓮はそれを読んでいない。


ブッダに帰れという意味が是一非諸という法華経だけを至上とし、当時の他の新旧仏教思想を否定するにあるかも。


もともとバラモン教のカウンターとして出てきた仏教思想だったのに、少し高木さんや佐藤さんの『鎌倉仏教』を読んでも、仏教がインド、中国、日本に渡る中で、伝言ゲームみたいに変容してしまい、もともとのバラモン教と同じような思想として受容されてしまっている現実がある。今もその誤解のイメージが広く日本の多くの人の心に根をおろしているように思う。過去世の因果で今世があるという因果異時の考え方は仏教ではなく、バラモン教の考え方です。でもそれが仏教としてお坊さんたちに誤って理解され、そのお坊さんたちを信じる多くの人たちにもその誤った考え方が受容されている。しかもそれが仏教の一般的なイメージにもなっているように見えるし感じる。



もともとの仏教になかった考えが中国に渡る時に追加されて、さらに日本でも変容している。もともとあった考えがどれだけ残っているのか、どう変わったのかも重要な問題かもしれないけれど、その思想が、今を生きる人にとってどのような意味があるのかのほうが重要かもしれない。



普遍的な価値が思想の中身にあるのか。今を生きる人にどのような意味があるのか。
また『法華経智慧』を読みたくなりました。