柄谷行人『言葉と悲劇』

「こうして、デカルトは、人に或ることを真理を思いこませるものが、慣習であり先例であると結論します。」柄谷行人『言葉と悲劇』
この本を読むとデカルトはすでにフーコーたちと問題意識が通じているのかなと思います。通俗的デカルト理解はデカルトとなんら関係ない。仏教においても同じことが起きている。



10年くらい前に読んだ本を再読。
今日は「スピノザの『無限』」と「ポストモダンにおける『主体』の問題』を読んでいます。めっちゃ面白いです。今読むと10年前よりもいくらか理解できる。この論考で引用されているレヴィナスの言葉の内容はなんとか理解できる。原著のレヴィナス『全体性と無限』は何年か前にまた挫折しました。


カント、デカルトの理解は、後の様々な思想の理解に欠かせないのだと思う。



デューイのはじめの論文は確かカントについてだった。
フーコーは初期に『カントの人間学』を書いている。
後期のコレージュドフランスの講義でもカントについて語り直している。
牧口もカント哲学に影響を受けている。