フーコー 読み書き 話すこと 聞くこと

一昨日くらいにぱらぱらめくると
「よき読書の諸規則とその目的の指示」とあった。

まず読書に関する忠告についてですが、これは古代におこなわれていた実践に基づいています。読書の哲学的な原則はこの実践を取り上げ直しますが、本質的なことは変えません。第一の原則は、あまり著作や作品を読まないこと、作品を読むとしてもあまり多くの文章を読まないこと、重要かつ十分なものだとみなされている節を選んで読むことです。そのために、作品の要約といった、さまざまな実践がおこなわれたことはよく知られています。

1982年3月3日のフーコの講義から


「えっ」と思ったし、その後、さすがだと思った。
それにショーペンハウワーのなどの読書論を押し進めていると思ったけれど、古代におこなわれていた実践にもとづくのか…。



良書を読めとは言われるけれど、重要かつ十分なものだとみなされている節か…。なるほど…。



ここから考えると
Tさんが
フーコーコレクションの別巻から、フーコーコレクションへというフーコの読み方をアドバイスしてくださったのですが、合致する内容だと思います。節レベルではないけれど、厳選したテキストを読むことが大切です。節レベルではTさんの著作などで引用して教えてくださっています。


フーコーの入門書は5冊以上は読んでいると思うけれど、
フーコーコレクションの別巻が一番よかったです。
フーコー自身による講義の要約があるから、それに解説もとても誠実で素晴らしい。フーコーの盟友の年表もある。とても優れている本だと思います。



要約論もあるので、後で振り返ります。書くことに凄く大切な指摘がある、この講義に。


でもよく考えると節で十分なんてあるのか。真意はテキストの厳選が大事ってことだろうけれど。
節とは何を指しているのか。たぶん見出しのことかな。見出し=節か。章のことかな。節=記事や文章における構成単位。セクション。章(チャプター)に類する。頭に本文内容の要点となる見出しが置かれること。



引用ではないか。
節(章)レベルか。
そう考えるとTさんからいただいたアドバイスについてあまりの適切さについて思う(現在における)。



コレクションは作品ではなくて、
章レベルといってもいい、フーコーの重要な文章を集めたもの。


僕は凄く興味があるフーコの講義集成がⅠ巻と11巻。主にニーチェアリストテレスプラトンなどを扱っている。最近読み直したので、比較的読んで理解できると思う。基本コレクションを一巻から読みつつ、講義集成も読もうと思う。



この日の講義はメモしたいことがたくさんあるから、またあとで書いて記録する。



ここから考えると、
語学と数学は大事だと思う。その上で節を厳選して読むこと。


文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

これ思い出す。


教え子が自分に読書ガイドが役に立っていると教えてくれた。
僕は前に大学一年生レベルまでの厳選した良書の読書ガイドを子どもたちに渡していたのですが、そのことについて。もうやっていないけれど、そう言ってくれる子もいてよかった。